July 4, 2011

学会の英語化は必要か?

RNA meeting など、イベントづくしの感があった6月も終わり、気がつけば夏真っ直中の暑い日が続きます。皆様お元気でしょうか。

本郷三丁目の飲み屋での一言から始まったこのblogも、気がつけば31,000ページビューとなりました。試験運用から20ヶ月ですので、一日あたり50ページビューです(最近に限ればもっと多いですけれど)。これを多いと見るか少ないと見るかは見方によりますが、非コードRNA領域のホームページが通算で40,000ページビューであることを考えると、まずまずの数字ではないかと思います。

それはさておき、このところ国際学会あるいは英語化された国内学会に参加する機会が多くなり(残念ながら RNA meeting には参加できませんでしたが)、そのときに感じたことを書いてみます。あらかじめ書いておきますが、自分なりの答があるわけではありませんので、いつも通り書きっぱなしです。

英語化のメリットはたくさんありますが、運営する側から言えば、外国からのゲストスピーカーを呼びやすくなることがまず挙げられます。日本語一辺倒の学会は来て下さいとお願いするのはやはり心苦しいものがあり、来てもらう際には相手側にも何らかのメリットがあるように気を配らなければなりません。この点、学会が英語化されていれば、学会そのものを楽しんでもらうことも出来るわけで、それほど気を遣わなくてもいいことになります。安直かもしれませんが、たくさん有名人(=各分野のリーダーサイエンティスト)を呼ぶことが出来れば、それだけで学会のクオリティが上がる(=学会の存在価値が高まる)ので、この点は結構重要であると思います。

一方、一般参加者にとっては、外国の参加者が増えるために発表の認知度が上がる(≒論文を通しやすくなる)というメリットがあります。RNA meeting などは最たるもので、その分野の大御所をはじめとした多くの人達にアピールできるのですから、その効果は絶大でしょう。

また、学生を含む 若い人達にとっては、英語で自分の研究内容を説明するよい機会になります。だったら海外の学会に参加した方がよいと言われそうですが、海外の学会に参加する場合は自分の英語の拙さだけを実感して終わることもあるのに比べ(経験あり)、日本(あるいは他のアジア諸国)で行われる学会の場合は、参加者のほとんどが non-native ですから、まわりに気後れせずに存分に broken English(Janglish)を話すことが出来る、というメリットは、確かにあると思います。

デメリットの方はどうかというと、なにより知らない分野の話について行けないという点が挙げられるでしょう。何となく聞いているとすぐにおいていかれてしまいます。日本に住んでいる限り、日本語の情報量の方が多いのは仕方ないので、特になじみの薄い分野は日本語の方がわかりやすいというのは事実であるように思います。学会を楽しむ、あるいは視野を広げるという観点からすれば、これは学会の存在意義にも関わる大きな損失であろうと思われます。また、英語でのコミュニケーションには気合いが必要という人には、気楽に参加するという気分ではなくなるのも確かです。プレゼンターの力量にもよりますが、自分の専門分野以外の話題が気軽に楽しめないのはやはり困ります。

なお、質問がしにくい、議論が深まらないと思う方もいるかもしれませんが、よく言われるように、そういう人は日本語でやってもおそらく質問しないと思いますし、深い議論をしたいときには英語は大して妨げにならないと思います。その発言は捨てておけないとか、何とか留学先を見つけたいとか、どうしても論文を通したいとか、本気で伝えたいときには、英語であろうが日本であろうが必ず伝わるもんです。

学会の英語化がよいのかどうかについては、相反する要素を含んでいるのも確かで、実際のところよくわからないでいるのですが、積極的に英語化のメリットを利用しようとしている学生の姿がこのところ目に付くようになったような気がしています。それが気のせい(年のせい?)でないとすれば、最近減少しつつある海外への留学機会を補うものになるのかもしれません。もしもそうならば、英語化にやや偏重しつつある最近の風潮もあながち間違いではないのかも、と思います。

影山裕二/岡崎統合バイオ

3 comments:

  1. 順番としてはラボセミナーレベルで英語化せざるを得ない状況が先にあって、学会レベルでの英語化があとに続く、というほうが自然です。現状そうはなっていないから、ややこしいですよね。分子生物学会のような巨大な学会は完全英語化で海外ゲストが半分のワークショップとシンポジウムだけ、発生生物学会やRNA学会のような中規模の学会は日本語で一般口頭発表中心、というのも一つの考え方だとは思うのですが、それはそれでいろいろ問題がありそうです。ただ一つはっきりしているのは、ネイティブでない人間にとって、英語は使えば使うほど上達するし、使わなければすぐに忘れるもの、ということでしょうか。国内の学会が全て日本語化してしまったら、海外の学会に行くしかなさそうです。そうすると今よりももっと海外に飛び出す人が増えたりして、などと思ったりもします。

    中川

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  2. 色々な見方があると思うのですが、おそらくこの問題は外国からの参加者を呼びたいかどうかに集約されると思うのです。実を言えばわたしはどっちでもいいと思っているのですが、強いて言うなら、国内学会は国内の参加者を重視する(日本語でやる)でいい気がしています。一度英語化してしまうと元に戻すのは相当頑張らないと難しいでしょうし。一方で、現状のままでは目覚ましい発展を続けるアジア諸国についていけないという危惧から、なんとか国際化(=英語化)したいと考える方達も相当数おり、それはそれで理解出来ます。なかなか難しいですね。

    影山

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  3. ついでにもう一つ。おそらくわたしが学生だったときに学会の英語化について聞かれたら、間違いなく賛成していたと思います。タダで英語の練習が出来るのですから。現在学生でいる人達にぜひともその辺を聞いてみたいですね。

    影山

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