February 28, 2012

ネットが普及して自分の足で歩き回ることが少なくなってきた

とは、知人のカメラマンの言なのですが、灯台下暗し、ごくごく近所にずっと気になっていた探し物が井上陽水の歌のように見つかってしまったという彼のFacebookのstatusを見て、思わず反応してしまいました。

研究者なら自分の足で歩き回るのは当たり前、というのは理想ではありますが、往々にして自分の足で歩き回って道を見つけるよりは高速道路を使った方が遥かに早かったりします。たとえば、先人の方々が苦労して作り上げたり、一子相伝みたいにラボで引き継がれている技術は、それが汎用性の高いものである場合(つまりそれほど自慢するほどのものではないものの場合)、実はcommercialなもののほうがずっと優秀、ということは良くあります。「おまえキアゲン使っただろ。セシウム回せセシウム!!」というのはネットに転がっているOK野研の伝説の名文でありますが、いや、実際のところ、セシウム回すより、キアゲンのカラムの方が、便利で早くて、成績も良いことのほうが多いです。滅菌筒とフィルターを組み立ててオートクレーブして自分で調合した培地を濾過滅菌して、、、なんて手間のかかった培地よりも、トータルコストではそう変わらないpre-madeの培地で培養した細胞がピカピカ元気そうでいるのを見た時の気分をどう表現したら良いか、、、明治維新に蒸気機関車に遭遇した鞍馬天狗、みたいなものでしょうか。

高速道路は色々なところに転がっていて、たとえば文献検索(古くは黴臭い書庫での孫引き)であったり、たとえば相同分子のスクリーニング(古くはlow stringencyのハイブリダイゼーション)であったり、といったところでしたら、高速道路を使わない方がバカらしいとは思います。近頃ではallen brain atlasやら様々な公共データーベース上のRNAseqのデータやら、下手したらベンチに居なくても、いや、むしろそういうデーターをうまいこと使いこなし咀嚼する方がベンチに居るよりもよっぽどマシな成果が出るのではないかと思わせられるような道筋も整備されてきています。ただ、ネットはなんでも教えてくれますが、自分が何をやりたいのかは教えてくれません。データベースも、何でも教えてくれますが、配列でも何でも教えてくれますが、ものすごいhigh throughputでヒストンの修飾状態は教えてくれますが、どこに行ったら居心地が良いかということを教えてくれる訳ではありません。

行きたいところというのは子供の頃は月だったりアンドロメダ大星雲だったり、夢はあるけれどもそんなところ行ける訳ゃあないところで、ちょっと成長すると今度は妙に下世話になんかちょっとヤバい香りのする、行こうと言えば行けるけど全く以て夢の無いところになって、もうちょっと成長すると今度は、はてさてどこに行きたかったんだか、わからなくなって日常に忙殺されるようになってしまうのかもしれませんが、自分の足、つまりそれほど最先端でもなく分野横断的でもなくinnovativeでもない足で歩き回って、それでああここに来たかったのだな、という場所に到着したら、それはものすごく幸せなことなのではないかと。

ほとんど伏せ字にする意味のないO野さんのライフワークの一つが目出たく完結したという噂を耳にして、やはりここはひとつ、それがたとえあまり見込みの無い試みであっても、自分の足で歩き回りたくなってしまいました。といって、久方ぶりに普段やらないタイプの実験をするものだから、PCR産物をエタ沈するのに塩を入れるのを忘れて本日終了。兎角実験というのは前に進まないものです。そこに自虐的な喜びを感じる根性、お湯が出ないシャワーに自虐的な喜びを感じるネイビーブルーの根性を身につければ最強かなと。

次回は最近とっても気になった論文を紹介したいと思います。って、これって僕の個人的なブログではないので誰かレポートでも挟んでほしいのですが、近頃はミーティングも無いのでまさに冬の時代、なのでしょうか。

中川

February 14, 2012

豚に真珠とインパクトファクター

インパクトファクターという言葉が人口に膾炙するようになったのは一体いつ頃だったのでしょう。僕が大学院の、ちょうど博士課程に入った頃だったでしょうか。大変鼻息の荒い、もとい、熱血漢の助手の先生が、お前らこんなんあるの知ってるか?みたいな感じで、トムソン社による発生生物学関連の雑誌のインパクトファクター一覧をホワイトボードに貼っていたのを見たのが僕にとって始めてのインパクトファクターとの出会いだったような気がします。初めてそれを目にした時の印象は、なんと言いますか、その数年後に「痛みの単位はハナゲ」のチェーンメールを見た時とかなり近いものがあって、これは別に話をチャラかしている訳でも何でも無くて、なるほどそうか、こんな分かりやすい数値化が出来るのか、またそれが(冗談にせよ何にせよ)存外的を射ていて凄いな、というものでした。飛車が10点、銀は6点、と、将棋の持ち駒に点数をつけて駒得・駒損という概念を非常に分かりやすい形で数値化したのは谷川浩司17世名人の大きな功績と聞いていますが、もちろんプロ棋士はそんなことをしなくても駒の損得は感覚的に身に付いているわけで、素人にも分かりやすい数字という形で難しい概念を示した、というところに意味があるわけです。インパクトファクターしかり。当時の発生生物学の業界のランキングは、Genes & Developmentが一番、Developmentが二番、続いてDevelopmental Biologyだったでしょうか。個人的には二番目の方が一番目の雑誌よりもずっとクオリティーが高いと思っていたのでかなり憮然とした覚えがあるのですが、なんのことはない、たまたま僕自身の仕事が始めて掲載されたのがDevelopmentだったので、それが一番であってほしかったというだけで、そこは「うちの父ちゃんが一番偉いんだおー」、とか泣き叫んでる子供と変わりはありません。
 少し前にここでも話題にしたDGDなる雑誌。当時の順位や数字は覚えていないのですが、10位とかだったでしょうか。ちょっと悔しいけれどもそんなものだろうな、と、これも納得のいく数字と評価だったような気がします。何となく研究の現場が分かるようになってきた大学院生が持っている体感と、おおかた一致した数字だった訳です。数字というのは面白いもので、じゃあDevelopment3本とGenes & Development2本と同じ価値か、だとか、DGDでも3本あればDevelopment1本の価値はあるか、なんて、無意味な、でもネタとしては結構面白い議論が始まったりする訳です。そこまで行くとかなり悪ノリに近いものがあると思うのですが、いずれにせよ、数字というものの持つ力は凄い。雑誌の存在価値という極めて取り扱いの難しい問題を、3歳の子供でも分かるように変えてしまう訳ですから。Natureさんがリンゴを20コもってました。Developmentさんがリンゴを8コもってました。どっちがたくさんリンゴを持っていたでしょう、というようなものです。答えはー、ねーちゃんでーす。と、すぐに分かります。
 冗談はさておき、なんでこれだけインパクトファクターという数字が騒がれるのか、と考えてみると、意外と根は深いのではないかと思わざるを得ません。ちょっと発生生物学の分野に居て論文を読み込んでいけば同じようなインパクトファクターを持つDevelopmental Dynamics(桂馬)とMechanism of Development(香車)の色合いの違いは分かるでしょうし、それらの雑誌とDevelopment(角)やGenes & Development(飛車)の守備範囲が違うということもいわずもがなすぐに分かる訳ですが、つまり、場合によっては桂馬がなければ絶対に詰まない、俗にいう「桂馬Z」の状況があることも(DDの論文を参考にしたからこそ研究の大きな壁が突破できるという状況があることも)分かる訳ですが、それはやはり現場を知っているから、その分野に精通しているから分かる訳であって、ちょっと分野が離れてしまえば雑誌の価値や個性なんて全く分からなくなります。雑誌ですらそうですから、個々の論文に関してはますます分からない。生物系ならまだしも、、新潟県上空の雷雲からのガンマ線バーストの検出と、液体ヘリウム液面電子系における新規マイクロ波誘起磁気抵抗効果の発見の、どちらがどうすごくてどう価値があるかなんて、サッパリ分かりません。まさに豚に真珠です。ムリヤリ判断せい、ということになれば、自分の価値判断はちょっと向こうに置いといて、どの雑誌にその仕事が掲載されたかということで判断しようか、ということになってしまいます。これがPhysical GeographicsとMathmatical Condensed Matter に掲載されている、なんて言われたら、ますます判断に迷ってしまいます。これはもちろんフィクションです。そんな雑誌は存在しないわけですが(あったりして)、それすらも分からない。豚に真珠なんだか真珠にブタなんだか、もう訳が分かりません。
 結局のところ、数字というのは、価値観の丸投げなのかな、と思います。ただ、物事のある一面を切り取っているのは間違いないことなので、特に自分が知らない分野に関しては多いに参考にはなるはずです。一方で、PCRのサイクル数だけで遺伝子発現の絶対量が語れないのと同じで、結局のところそのものを深く調べていかなければ、実際のところは何も分からないし比較も出来ない。雑誌の価値も、論文の価値も分からない。ということになります。インパクトファクターで論文や仕事の価値を語ることは他人への無関心が生み出す悲しき所業に他ならないと思うのですが、独りよがりの価値判断よりも、数字を使った価値判断の方が学問的に見ても正しい判断になることが多かったりするのも、特に専門分野以外の領域ではそうなってしまうのが多いというのも、困ったことにこれまた事実でしょう。まあ、もしこれが悪いというのを強いて挙げるとすれば、単なる勉強不足でしょう。
 物事には両面性があるのは当たり前のことではありますが、このインパクトファクターという数字。とても厄介なシロモノです。日本分子生物学会はGenes to Cellsという雑誌を出していますが、これもいわゆる一つの高インパクトファクター雑誌ではないですし、これからもそうなることはないでしょう(とかいうと某編集幹事にしばかれそうですが)。でも、桂馬が飛車を目指さなくても良いとは思うのです。「桂馬Z」の状況では飛車を何枚持っていてもなんの意味もありませんから。将棋において駒の点数を知ることは大事です。でも、もっと大事なのはその駒の使い方を知ることのような気がします。とはいえ、やはり、やっぱり、インパクトファクターの高い雑誌を目指したいものです。その気持ちを無くしたら、俗物でなくなってしまいます。解脱してしまいます。僕自身、人生の折り返し地点は過ぎてしまったかもしれませんが、この齢で解脱したら、それはそれでかなりヤバいことになるのではないかと。俗物根性。これはなかなか馬鹿にならない人生のエネルギーですから。

中川