February 1, 2011

ジャーナルクラブと三角形

理研CDB 中山潤一

 広報担当の中川さんに(中川注:私、だんじて広報担当ではありません、、、)、「領域の可視化に協力を」と依頼されてこの原稿を書いています(書かないと研究費を削られてしまうそうなので・・(中川注:誰ですかそんないい加減なことをいったのは?))。海外留学とか堅い話で盛り上がっているところ緩い話で恐縮なのですが、普段考えている毒にも薬にもならないことを文章にしてみたいと思います。

 研究に携わる仕事をしていると、なかなか体系的に説明されない、あるいはしにくいような事があったりします。例えば、「独立するにはどうするか」とか「良い留学先を見つけるにはどうするか」などはその類ではないかと思います。同じようなことで「ジャーナルクラブ」というのも、そのスタイルや仕方、時間などは多種多様で、研究室によってもまちまちではないかと思います。もちろんベストなスタイルなんていうものは存在しないと思いますが、自分のラボの学生やスタッフのジャーナルクラブでの発表を聞いていると、「う〜ん、なにか違う」と感じることがあります。多分それは「立ち位置」のようなものではないかと思います。

 この「立ち位置」というのも微妙な表現ですが、要するに「自分」と「紹介する論文」と「そのセミナーを聞く人達」の関係です。例えば研究室に入りたての学生や、新しくその分野に入って来たばかりの人に良く見受けられるパターンは、完全に紹介する論文サイドに立って、その論文に書かれていることを100%信用し、仮に結果についてネガティブな批評でもあったりしたら、まるで自分にイチャモンをつけられたかのように振る舞うようなパターンです。中にはこれとは全く逆のケースもあって、例えばセミナーを聞いている他の参加者から、紹介する論文の結果に対して批判的なコメントがあっても、「いや自分もそう思うんですよ」と相づちをうって、まったく論文側に立ったコメントを返さないような人もいます。

 ここまで極端なことはあまりないかもしれませんが、多くの人が多少なりどちらかの傾向を持っているような気がします。もちろんどちらでも発表者の好きにしたら良いと思うのですが、私なりの意見としては、その論文の結果をきちんと理解し評価しつつ、客観的な目を合わせ持って紹介する、つまり論文に対しても、参加して聞いている人達に対しても、ある程度距離を持って紹介すると言うのが理想ではないかと思います(タイトルはそう言う意味です)。例えば、こちらが論文紹介を聞きながら、もしかしたらこんな解釈が出来るかも知れない、と何か思いついてちょっとワクワクしながら質問しても、「え〜と、そのようなことは論文には書かれていませんでした」、とだけ返されるとかなりガッカリします。きちんと客観的に論文を評価し、参加者の意見を尊重すれば、もしそのような質問があった場合でも「論文には書かれていませんでしたが、そうですね確かにそう言う考えはできるかも知れません。ただ自分は〜だと思います」というような自分を中心にした返答が出来るのではないかと思います。

 論文を紹介するだけなら、ちゃんと時間をかければ誰でも出来ると思います。ただ自分の立ち位置をきちんとキープして、その場所から客観的に論文を評価しつつきちんと個々の質問に対して答えるというのは、実その次の大事なステップなのかもしれません。まだまだかなぁ、と思ったりしながらいつもセミナーを聞いています。
 
 話は変わりますが、私が大学院の学生で研究室に入ったばかりの頃、一流ジャーナルに出ている論文はそれこそ教科書のように信じて紹介していたのですが、それに対して当時の指導教官は半信半疑というような質問をよくされていました。当時「なんで先生はあんなに懐疑的なことばかり言うのだろう」と思ったりしていましたが、何のことはない、振り返ってみれば今自分がまったく同じように論文を見ているわけです。きっと学生に同じことを思われているのかも知れません。

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