February 10, 2011

ながらふべきか、但し又ながらふべきに非るか、爰が思案のしどころぞ

論文を書いていてふと思ったことを書きます。最初に断っておきますが、大して意味のある内容ではないです。

Science とは不思議なもので、同じ材料で同じようなことを考えているのに、何をやるかは人それぞれであったりします。そういうときに効いてくるのは、個々人の性格や学術的バックグラウンドではないかと思っています。今回は後者の方について思いついたことを書きます。

いきなり個人的な話になりますが、わたしは生化学のラボ出身で(前に書いたかもしれません)、学位論文もバンド物とグラフばっかりなのですが、当時ラボにいたS・Hさんの影響もあってか発生生物学を心のどこかで常に意識しています。自分で思うにこれらの分野の両方を知っていることが私の強みだと思っています(まぁ中途半端ともいえますが)。以下は私の思い込みに基づく勝手な見解です。

発生生物学と生化学は基本的に全く違うもので、個体レベルで起こる発生現象の解明に力点をおいた研究と、化学反応にあずかる生体分子の振る舞いに焦点を当てた研究では、趣が異なるのも当然であろうと思います。もちろん生命現象のメカニズムに迫ろうとする最終的な目的は同じなので、少なからず接点があるわけなのですが。

これらは論文を書くときに如実に現れます。論文というのは研究の一部を切り取って、ひとつの結論を導き出すために書き上げることが多いので、得られた結果をどういうふうに読者に読ませるかを考えなければなりません。最近は字数制限も厳しいですし、なるべく無駄なく書こうとすると、落とし所はひとつに絞られてきます。すべからく introduction から discussion の最後まで、その落とし所に沿った書き方になります。

例えば、生化学の論文ならば、introduction は以下のような感じになることが多いような気がします。
Nuclear steroid receptors function as transcriptional factors and mediate endocrine signals in a variety of biological phenomena including...
発生生物学であれば、こんな感じ。
Lens formation in mammals is an excellent model for cell differentiation and organogenesis, in which single layer of placodal cells...

これらの違いは論文を書くときに初めて現れるわけではなくて、面白そうな結果が出始めたあたりから個々の学術的バックグラウンド(嗜好と言ってもよいかもしれません)や担当者の能力に従って少しづつ顕著になります。もちろん、良くも悪くも「バリバリの」発生屋さんや生化学屋さんなら徹頭徹尾違うと思いますが、微妙な立ち位置にいる私なんかは、どうするべきか悩みながらやっていたりします(あっちを向いたりこっちを向いたり結構危なっかしい)。特に最初の面白そうなデータが出る段階では、まさに試行錯誤状態です。学生やポスドクと意見が合わなくて対立したりすることもあります。

それが発生を理解する上で意味があるのかないのか。あるいは解析している遺伝子の産物が面白い生化学的反応に関与しているのかどうか。もちろんこういう判断基準以外にも色々あってしかるべきなのですが、私の場合は大まかにこれら二つのことを考え、どういう方針でやるか(あるいはやらないか)、思案しながら研究をしている気がします。

発生ではないですが、遺伝学と生化学を両方やるのが当たり前の大腸菌や酵母の人はどう考えているのか、一度聞いてみたいです。

ちなみにタイトルはハムレットのアレの矢田部良吉による和訳です。思案のしどころなのはわかったとしても、正解がわかるとは限らないんですよねぇ。

影山裕二/岡崎統合バイオ

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