August 9, 2012

学会の存在意義

7月のハイライトは仙台におけるRNA学会でしたが、この新学術のメンバーの皆さんも数多く参加されていたようです。誰か書き込んでくれているかなあと、久しぶりにこのブログに来てみたら、案の定、誰の書き込みも無かったのですが、再来週には班会議があります。ぜひそのときにいろいろな方に活動報告していただきましょう。

ちょっと話題は変わるのですが、学会の存在意義って、なんなのでしょう。

RNA学会、という比較的「若い」学会と、分子生物学会のような赤色巨星のような学会は、同じ学会といってもまるで別物のような気がします。チワワとセントバーナードみたいなものです。ちなみに、詳しくは知りませんが、日本には独自の学会誌を持つような学会が、なんと1,800もあるそうです。もちろんすべてが生物系ではないので、なんともいえませんが、一目多いな、というのが第一印象です。

多い、といえば、各種ミーティングも多くなったような気がします。特定領域や新学術の共催であったり主催であったり、ちょっと面白そうだな、行ってみようかな、という国際ミーティングが年に数回あるのは珍しい事ではなくなりました。下手をすると毎月あるような。先日のキーストンで出会ったHoward Changさんは、「僕はね、出張は月に一回を越えないようにしているんだ。だってそうじゃないと、やってられないでしょ。」とか言ってましたが、全くその通りだと思います。ともあれ、ふた昔ぐらい前は学会といえば特に学生にとってはほぼ唯一の学術集会だったのが、昨今では、少なくとも知的刺激、という意味では、たくさんあるミーティングの中の一つ、という位置づけになりつつあるといっても言い過ぎではないような気がします。それでもやはりその学会に行かなければ味わえない雰囲気というのがあって、まるでシャケが生まれ故郷の川に戻っていくように皆それが懐かしくて、年会が近づくとなんだかそわそわしながら急に実験のペースを上げてみたり、あるいは旧知の友人にメールを打ってみたり、最近ではFacebookとかTwitterでなんかつぶやいてみたり、なんてことをしたりするひとも多いのではないでしょうか。

このワクワク感、ソワソワ感、が学会の本質なのかな、と思ったりします。

その一方で、ちょっと残念な学会経験、というのもあります。とある発生生物学会の掲示板に書き込んだのですが、僕自身、ちょっと前にものすごく気合いを入れて企画したシンポジウムがありまして。ちょっとマンネリ化してきたなとか、最近のこの業界倦怠感があるよね(そんな事は無いと思いますが)、とか、いう声が年会の準備段階でチラホラ聞こえていたので、普段慣れ親しんだ話題ではなく、えっ、何これ!というような話を聞きたいなあと、発生とはちょっと毛色の違った「共生」をキーワードにしたシンポジウムを立ててみよう!ということになりました。同じ「生」がついているとはいえ内容的にはとても僕がオーガナイズできるものではなかったので、学会員でない外部の方に無理を言ってオーガナイザーを引き受けていただいて、僕自身はサポート役に回って、いろいろややこしい事務方との格闘を経てなんとか海外招待講演者の方の旅費の支給のめどが立って、いよいよ楽しみにしていたシンポジウムの幕開けですよー、と千人以上収容できるメイン会場の扉を開けたところが、、、、

聴衆3人。

あとから二人ぐらい入ってきて最終的には5人ぐらいの聴衆になった訳ですが、たいがいのことは気にしない僕もさすがにこれは結構こたえました。まるで星飛雄馬のクリスマスパーティーでした。うー!だから実験サイボーグでいたかったのにー。それでもシンポジウムの内容は期待以上にすばらしく、シンポジウムの講演者の方と食べにいった昼飯の時間は、ほんとうに楽しいひとときでした。沖縄そばの味。調子に乗って昼間っからおかわりまでしてしまった生ビールの味。いまでも思い出すたび、心の奥の方にポット暖かい明かりが灯るような思いがします。気分はまるでノクターン。

でも、なんであの時間をほかの方々と共有できなかったのでしょう。まあ、僕の宣伝不足が一番悪かった訳ですが、そもそも学会の会場が一つだけであれば、あの手の不幸はあり得ない訳です。とある発生生物学会は現在3会場同時平行でやっています。RNA学会は1会場ですね。班会議とか各種ミーティングも1会場。分子生物学会とか生化学会とかなると、、、数えるのもめんどくさくなるぐらいの会場数です。ああ今年も、いつかどこかの会場で、星飛雄馬のクリスマスパーティーワークショップが、開かれているぅー、なんてことのありませんように。

また、学会となると今日び必ず問題となるのが、国際化問題、英語化問題です。これからは国際化の時代だから英語で、いやいや裾野を大事にするためにも学会員の利益を考える上でも日本語で。ちなみに、この議論を関西弁と標準語でやったらどうなるのかしらんとか思うと結構笑えてきます。標準語に統一せよ!やはりこの学問を語るには関西弁だ!そういってるお前の関西弁は気持ち悪い!とか。現状問題となっているのは日本語か、英語か、なので、これはおちゃらけているわけにはいかないですね。

仙台の学会は、いろいろな意味で、感慨深いものがありました。おそらく一番の理由はやはり震災の爪痕が生々しく残っている、それでも「日常」が取り戻されつつある東北という場所で行われた学会、というのがあるのでしょうが、セッションはもちろん休み時間や懇親会も、充実した時間を過ごす事が出来ました。大きい方が良いとか、小さい方が良いとか、国際化が進んだ方が良いとか、いや日本語が良いとか、そういった面倒くさい話はおいておいて、良いものは良いのだなあ、と思った次第です。稲田さん、本当にありがとうございました。

中川

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