April 21, 2012

Post-Keystone Symposia (4)

年度末もしくは年始というのは報告書やら申請書やらなにかと色々な書類仕事がやってくる時期で、んなもん誰が読むのだろう、いっせいのせいでみんなが書くのをやめたらどうなるのだろう、別に今日書かなくても良いのだったら明日に回そうか、などなど、様々な悪魔のささやきを耳元近くで聞く時期であります。加えて花粉症の季節でもありまして、2月末から5月初めに至るまで、苦しむ人は苦しみ、そうでない人はケロリとしている、こんな世の中の不条理を許すまじ、とシュプレヒコールをあげてもスギなりヒノキなりが聞いてくれるわけでもなし。何かとアンニュイな季節ではあるのですが、その時期に、
1)完全書類書きフリー(連絡手段が無ければどうしようもない)
2)花粉フリー(スキー場には花粉は飛んでいない)
3)会議フリー(僕のような下っ端は出なければいけない会議はほとんどありませんが、、、)
という天国のような1週間を過ごして、まるで昔ほぼ全ての時間サイエンスに没頭していた、いや、サイエンスとパブ通いと塩野七生さんに没頭していたポスドク時代を思い出しておりました。実際のところ、研究所を取り巻く環境は今日びいろいろ厳しいらしく、それは厳しいと言っていないと存在価値が無くなる人たちだけが言っていることかと思っていたら、色々な人が、それぞれの思惑を持って、状況を憂いたり、制度を改革しようとしたり、改革に文句を言ったり、議論を始めたり、そういうところでは往々にしてある結論の先送りがあったり、結論を出しても大きな流れが変わる訳でもなく無力感だけ感じたり、しているみたいで、いろいろややこしい訳です。そのややこしさの余韻を感じながら、飛行機に乗り、空港や現地ではサイエンスの会話以外の言葉が通じない不自由を感じ、朝ご飯どうしよう、誰の隣に座ろうとミーティング特有のこれまたややこしいコミュニケーションに不安な気持ちを抱きながらセッションに突入したところ、アカデミックな事に関しては「饗応」というにふさわしい高レベルの話の数々。ああ、自分はこういうところに来たかったのだなと至極の喜びに浸る一方、ふと、日本に残して来た(一週間なのに大げさな)家族の事やら、ラボの事やら、理研を取り巻く状況やら、生物系で良くささやかれている様々な問題を思い出しているうちに、

ガガーリン

の気持ちになってしまいました。なかなかうまく伝えられないのですが、宇宙飛行士になって地球を眺めているような気持ちというのでしょうか。僕が子供の頃、某朝日新聞の朝刊の漫画はフジ三太郎だったのですが、冷戦のころ、サトウサンペイさんが書いた漫画に、しかめっ面をしたブレジネフさんと、レーガンさん。お互いに脅し合いのスピーチをしている二人が、同じ飛行船で宇宙に行って、青い地球を見て涙を流し、握手して喜び合って仲良くなる、というものがありました。本当に自分が大切にしたいものに出会えたときにはその他の争い事がどうでも良くなってくるはず、というメッセージが込められていたのでしょうが、当時中学生だか小学生だかひねくれていた僕はこんな「分かりやすい」漫画ちっとも面白くはないなどと思っていたのですが、たしかに分かりやすいけれども、その「分かりやすい経験」を、自分はした事はなかったのだなあと、つくづく今になって思います。経験というのは、それを実際に経験した人でなくては分からないもので、初恋を知らない人に初恋の甘酸っぱさを説明をするのは、リンゴとミカンしか食べた事の無い人に梅干しのあの独特の酸っぱさを説明するようなものです。

ともあれ、なんだかいろいろ自分では頑張って来たつもりでいたこの2、3年だったのですが、仕事に集中しているつもりがそうでもないところに結構労力を使っていたような気が、強力にしてきたわけです。「取り残される」。こんな事をしておってはいかん。もう一度ギアチェンジして頑張らないかん。と。会期の後半は、一刻も早く帰りたい。帰って実験したい。そればかり思っておりました。

なかなかサイエンスの内容には入れないのですが、次回こそ。多分数行で終わってしまいそうな気もしますが、、、

中川

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