November 22, 2012

知ってるつもり?のエピジェネティックス(2)

そもそもエピジェネティックスとは何なのでしょう。今度の分子生物学会で塩見の春さんが書かれたシンポジウムの紹介文をここに引用します。

かつて Waddington 1942 年に定義した「エピジェネティックス」とは、遺伝子がどのように形となって我々 が目にするところの表現型へとつながるのか、その因果関係を調べる学問であった。これは即ち、現在我々が発 生生物学なり、進化発生学のシステムバイオロジー的研究、と呼んでいるところの学問とほとんど変わりはない。 ところが、Waddington が提唱したこの(神聖なる)エピジェネティックスという概念は、昨今では単に DNA やヒストンの化学修飾を調べる狭義の(味気ない)学問のことを指すようになってしまった感がある。そもそも、 エピジェネティックスの定義が「DNA の変化を伴わない、世代を超えた遺伝子伝達機構」を表すようになった のは、実は 1990 年代、つい最近のことに他ならない。過去の歴史を遡ってみれば、エピジェネティックス研究 は「エピジェネティックス相互作用」と「エピジェネティックス修飾」の二つの研究領域ー発生の過程において 細胞や組織が周囲の環境とどのように相互作用して変化を遂げてゆくか、という学問と、ゲノム DNA の機能が どのように修飾されていくのかを調べる学問ーにまたがって進められてきた経緯があり、また現在においても本 質的にそれは変わらないのである。

いかがでしょうか。エピジェネティックスには
epigenetic interaction「エピジェネティク相互作用」
epigenetic modification「エピジェネティック修飾」
の二つの学問があると。そのうち後者は、いわゆる僕らが昨今耳にする「エピジェネの研究」。クロマチン免疫沈降してバンドを出して、という流れの研究ですが、epigenetic interactionというのは、いまいちピンと来ません。そもそも今日ではepigenetic interactionといえば、単なる「遺伝学的相互作用」とはなにかちがうぞ、と思わせながら実は二つの転写因子の効果を調べただけの、実体はあまり無いジンクピリチオン効果を持つ言葉として濫用されている感すらあります。

1942年と言えば第二次世界大戦中、まだDNAが遺伝を担う物質であったことがようやく分かり始めた時代です。発生生物学の業界では有名なシュペーマンのオーガナイザーの活性を担う物質探しをした研究者の努力が徒労に終わり、その一方でショウジョウバエの遺伝学的研究の進展もあって生き物の形態が(実体は分からないけれども)遺伝子で制御されているという概念が革命的に確立されてきたころでしょうか。当時の「エピジェネティックス」という言葉が意味するところの概念は今よりもずっと広かったことは容易に想像できますが、実は現在もテクノロジーが急速に進歩してきた、という点である意味同様な状況にあるのかな、とも思います。

ノザンがqPCRに取って代わられ、アレイがそれを引き継いで、現在ではRNAseq。アレイやRNAseqの結果はqPCRで確かめないと、という言葉はそっくりそのまま、RT-PCRなんて信じれるけー、ノザンやノザン、poly-A(+)10ug突っ込んでバンド出せー、というかつて自分が叫んでいた雄叫びと何ら変わりはありません。実際は新しいテクノロジーは古いテクノロジーを多くの場合凌駕しているのですが。

話がだいぶそれてしまいましたが、何となく思うのは、階層をつなぐ困難さ。これは時代を超えて常に存在していたのではないかと。エピジェネティックスという言葉は、遺伝子、つまりジェネティクスという概念が流行しかつ跋扈していた時代に、そんなもので説明されてはたまらんと。もっと上の階層があるだろうと。そこで出てきた言葉がepiなのかもしれません。epiといわれれば黙らざるを得ません。なにせ上だから。

エピジェネティックスという言葉には、ジンクピリチオン効果の匂いが多分に漂っているような気もします。しかしながら、遺伝子だけでは分からない、という気概には激しく同感です。古生物学者かつ発生生物学者であったWaddingtonが提唱したepigeneticsのすばらしさ、生命の不思議さ。細かいところは分かってきたけれどもまだまだ全然分かっていないじゃないですか。生物ってやっぱりすごく不思議じゃないですか。そのようなものに触れられるシンポジウムになれば良いな、と願っています。

中川

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