November 13, 2012

国民が納得するサイエンスって?

昨今ではファーブルのようにスカラベの研究をしていても少年少女に夢を与えるという訳にはなかなかいかないようで、世の中の役に立つ研究を、成果を社会に還元を、という声が良く聞かれます。多額の研究費をもらっていながら成果が見えないと「国民」が納得しない、と、財務省が言っている、と文科省が言っている、と偉い先生のだれそれが言っている、からそうせい、ということなんですが、本当の所どうなんでしょう。この一連の流れのラスボスの財務省というとちょっとおっかないところというイメージがありますし、最近のホームページなど見てみると、確かにおっかなそうな、物騒な議論が進められているているようですが、普段身近に接する「国民」、たとえば子供の同級生の親御さんたちと話をしていると、研究者といえば変な人、スカラベフェチみたいな人ばかり、というイメージがしみ込んでいている様です。それで許してくれているかどうかは別問題ですが、上の人からガミガミ言われるよりはずっと優しい視線で見てくれているような気もします。

例えばなにかしらものを作って売っている会社であれば、ものが売れれば儲かりますし、売れなければ会社はつぶれてしまいます。ユーザーが実際に手に取ってみて、使ってみて、なんだこれ、たんなるハリボテか、などと思われるようなものは、自然消滅します。マイナスイオンなんて言うものもありましたが、なんだ効かねーじゃねーかと誰かが言い始めるまでもなく、あっという間に廃れて商品化されなくなりました。健全健全。

一方で、研究の世界で、研究成果がこのような競争原理によってわかりやすく自然淘汰されているか、というと必ずしもそうではないのではないでしょうか。捏造なんていうのは論外ですが、きちんと実験をした結果であったとしても、例えば特殊な条件でのみ成立して全然一般性が無いものであったり、そもそも「専門家」から見れば実験のデザインからして相当おかしな条件を使っていたり、するものも、相当量混じっているような気がします。長鎖ノンコーディングRNAの分野についていえばstoicheometryや定量性の観点がすっとんでいる事例がしばしば見られるということはここでもふれられてきましたが、その手の「一見凄いけどほんとかね」という論文の多くは、あれって再現性無いよね、やばいよね、と、業界の中ではバッテン印がつけられて、その噂は徐々に周りに広まっていくのですが、分野がちょっと違ったりすると、その声は聞こえてきません。公開の場で議論となることも、よっぽどのことがない限り、あまりありません。そうすると、それを発展させてもさして得ることのない袋小路の論文が、「OX誌に掲載された論文」として、かなりの長い時間流通してしまうことになります。

本来、サイエンスとは、小さな発見が連鎖反応を起こしてどんどん新しい発見につながるものであり、そこに喜びや感動や達成感があるものなのだと思います。僕が学生のころ、というと1990年代後半ですが、今日あちらこちらで行われている研究の源流はこの論文にあったのか、というようなものがわんさか掲載された1980年代のDevelopment誌の「伝説のissue」を、心躍らせてページをめくったのをよく覚えています。Neuron誌で言えば創刊直後の数号はまさに伝説。当時はカバーしなければいけない専門領域もそれほど広くなかったため、実験デザインからしてちょっとおかしいなんてものはpeer reviewによって速攻で発見され、掲載以前に葬り去られていたのかもしれません。Peer reviewをくぐり抜けた物は、それがどんな雑誌に掲載された物であっても、荒削りでも将来性豊かな、サイエンスの楽しさを一杯に詰め込んだ作品であったのではないかと。

袋小路論文は、この連鎖反応を停めてしまう減速材です。それが有名な雑誌ならなおさらです。減速材がある程度あったほうが一気に燃料が無くなってしまうことがない、という良い(?)面もあるのでしょうが、それが増えすぎると、連鎖反応自体が停まってしまいます。そうすると、分野としても停滞してしまう。中にいる人間も腐ってしまう。研究業界の外から見ていてもその辺は敏感に分かるもので、なにやっているんだあいつら、ということになってしまうでしょう。世の中の役に立つ研究をこうも求められている一番の理由は、Peer reviewのシステムが徐々に崩壊してきて、袋小路論文があふれて、これぞサイエンス!!!というところを見せられていないから、というところもあるのではないでしょうか。「国民」が求めているものは、既に豊かになった生活をちょっぴり更に豊かにするような発見ではなく、研究者が生き生きと働いている姿、次々と新しいことにチャレンジして、そこでいろいろな発見をするそのプロセスなのではないかと。

サイエンスの発達のためには基礎研究は欠かせない。Curiosity drivenなサイエンスを追究してきたからこれだけの成果があげられた。と巷ではよく言われます。実際そうであると信じていますが、これだけ専門分野が細分化された状況で研究の真贋を確認するのには相当のエネルギーがいりますし、どうしてもインパクトファクターとか被引用数とかいう「客観的」な数字に頼った評価が下されがちです。基礎研究の土台がぐらつき始めているから、基礎研究が大事だと繰り返し言われても信じない、本当に凄い研究なら社会に役立つだろう、それを出してみろ、と、財務相が言っていると、文科省が言っていると、偉い先生が言っている、、、ような気もするのです。

中川





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