May 28, 2012

RNA学会会報


今週発行のRNA学会の会報。素敵な文章が色々な方々から寄せられていますので、皆さん是非ご覧下さい。超大型新人も登場しています。学会ホームページからも電子版を見ることが出来ます。とりあえず、恒例の会長の巻頭言、ここでも紹介させていただきます。皆さんどう思われますか?個人的には、春さんも最後に触れておられますが、「今時」の若者のポテンシャルに勇気づけられることは多いです。今が悪いのなら、それを変えれば良いだけですから。

中川


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巻頭言「終わりの始まり」、それとも「始まりの終わり」


塩見春彦

最近、あちこちで「ニッポンの衰退」が話題にのぼる。同僚たちはソニーの長い低迷 (’ていたらく’) に代表される産業技術の衰退に関して、熱く持論を語る。「なぜiPhoneはニッポンで生まれなかったのか?中身はほとんどニッポン製だろ、あれって」とか、「なぜ次世代シーケンサーはニッポンで生まれなかったのか? 既製品の組み合わせだろ、あれって?」とか、さらには「技術はあるはずのニッポンで、なぜグーグルやマイクロソフトやアップルのような新しい企業が生まれないのか? それって、つまり、技術が生み出す可能性にチャレンジすることを支える仕組みがニッポンには無いってこと?」とか、「敗戦後、“奇跡の経済発展”を遂げたのに、ノーベル経済学賞をもらった日本人が一人もいないのはなぜ? 経済の発展に理論は不要? もともと発展のための理論が無かったので、悪くなった原因もわからない?」とか。また、彼らは大学と基礎研究の地盤沈下に関しても同様に熱く語る。多くの人々の共通の思いは、どうやら「つい最近まで、経済も産業もそして“サイエンス”もニッポンはいつもアメリカに次ぐ2番だったのに、この10年 (人によっては20年) で急速に劣化してしまった、もはや2番ではない、3番でもないかもしれない、10番以内に留まっているのかどうかも怪しい、どうしちゃったんだろう?なぜ、そうなったんだ?」

さて、本当に日本のサイエンスは低迷しているのでしょうか? どうやら、残念ながら、日本から発表される研究論文の数と質が明らかに低下している、少なくとも停滞している、したがって相対的に他国 (特に欧米諸国と中国と韓国) に比べて低下していることは間違いないようです。最近、「我が国の学術の国際競争力の低下」を示す各種解析データ (発表論文数や被引用度の国際比較等) が国立情報研究所や文部科学省科学技術政策研究所といった (名前からして、信頼性のありそうな) ところから出されています。さらに、たとえば、nature publishing index 2011 ASIA-PACIFICというのを見ていると、以下の文章が目に留まります。
Even though the gap between Japan and China is substantial, China continues to increase the number of articles it publishes in Nature journals at a faster average rate than any other country in the top five, year on year, and may reach Japan within the decade.

私にもニッポンが中国に10年以内に追いつかれ、追い越されることは、容易に想像がつきます。この数年毎年中国に行く機会がありますが、Chinese Academy of Sciences (CAS) の各研究所やNational Institute of Biological Sciencesは建物 (建物も敷地も広く、りっぱで美しい) もその中の設備 (お金かけている、しかも卓球やバドミントンをするスペースもある) もそこで働いている人々も素晴らしい。PIにはアメリカでPhDを取得し、ポスドクを経てAssistant Professorレベルの比較的若い人々を厚遇 (税や住居取得等に優遇措置) でリクルートしています。このような帰国中国人は少し前まで「海亀/Haigui」と呼ばれていました。ソウルにも何度か行く機会がありましたが、Seoul National UniversityやKorea Universityのキャンパスは素晴らしく広くて美しい。

ニッポンにはなにか足らないものがあるのでしょうか?

たとえば、国際化。中国からアメリカへの留学生数は2010年度に前年度23%増の約15万7千人。一方、日本からアメリカへの留学生数は2万1千人、しかも年々減少して90年代の半数以下になったそうです。アメリカで学ぶ韓国人留学生は7万5千人。しかも、韓国から中国への留学は6万4千人と他国を圧倒して一番。2010年現在、Seoul National Universityは20%の授業を英語で教えており、KAISTでは2007年時点で既に100%英語で教えているそうです。さらに、韓国の大学院生の数は23万人と日本 (18万人) よりも多く (ちなみに韓国の人口は日本の3分の1強) 、一方、2004年に外国人留学生受け入れを推進するStudy Korea Project政策を打ち出し、2008年までに既に5万人の外国人留学生を受け入れ、さらに、今年までに10万人を受け入れるという政策を推し進めています。つまり、「韓国が日本を凌駕して学生のモビリティを高め、教育言語の英語化を徹底し、米中を中心に国際人材育成に邁進している」(『学術の動向』2012年2月号横田雅弘) という状況が見て取れます。私のアメリカ留学経験から言えることは、“アメリカにおける留学生は世界の研究者ネットワークの源”であるということです。このネットワークに組み込まれることの意義 (またはメリット) は大きいと思います。上に挙げた統計は、このネットワークの中にいる中国人や韓国人が増え、その外に置かれる日本人が増えていることを意味しています。
たとえば、大学キャンパス。日本の大学はどこも狭くてみすぼらしい。留学生や外国人ポスドクを惹き付ける魅力は少ない。たとえば、授業料。博士課程の学生から授業料をとる国は日本以外それほどありません。このことを私が組み込まれている『世界の研究者ネットワーク』の人々に話すたびに、とても驚かれます (That’s crazy!!)。博士課程の無料化は人材の確保、したがってサイエンスの質を高める重要かつ具体的な方法だと思えます。他にもいろいろ足らないものがありそうです。おそらく、人それぞれ熱く語ることのできる持論を持っているのではないでしょうか。ただ、重要なことはサイエンスの質を高める具体的な可能性にチャレンジすることを支える仕組みを確保する、または新たに作り出すということだと思います。独法化以後、大学教員が研究に充てる時間は2010年までに10%減少したそうです。つまり、独法化のネライは、研究時間を削り、教育と他の業務 (一般に、“雑用”と呼ばれています) に充てさせることだったということになります。

でも、ダメなことばかりでもなさそうです。『内向き』というのが、最近の日本人を表現するのによく使われる言葉ですが、私の印象では、海外で自分のラボを持つ日本人の数は増えているように見えます。また、しっかりした英語の発表をする若者は確実に増えています。一方、留学しなくても、英語が話せなくてもノーベル賞に値するサイエンスができることも証明されました。グローバル化 (つまり、アメリカ化) の時代だからこそ、日本語独自の発想が必要とされるかもしれません。ただし、日本語の可能性を活かすには日本語の達人にならなければなりません。益川敏英さんは明らかにとても熱心な文学青年でした。その発想の芯にあるのはしっかりした日本語だったと思いたい。

A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty. - WinstonChurchill

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