May 20, 2012

バイオのブレーク??

さてさて、多田隈さん・藤原さんを皮切りに新学術メンバーのお仕事の紹介が続きます。

ちょっと一休みという事で、「バイオ」について一言。

「バイオ」というともうほとんど死語のような気もしますが、思い返せば僕自身が大学の農学部に入学した頃は、なんともきらびやかな響きを持った言葉でありました。ちょうどバイオの代名詞?アサヒスーパードライが世に出て2、3年経ったころだったでしょうか。これからはバイオの時代だ、バイオを使えばなにかが出来る、きっとバイオが助けてくれる、ということで、多くの企業がバイオに参入し、電線を作っていた会社ですらバイオマテリアル研究所なる研究所を立ち上げていたぐらいです。

しかるに。当時のバイオに対する期待はいささか過剰なものがあったような気がします。組換えDNA技術が成熟し、トランスジェニック動物・植物がちょと出来るようになったからと言って旧来の品種改良のスピードが格段に進歩した訳ではありませんし(そもそもGMは日本では栽培できませんし)、TOYOBOやタカラバイオといった老舗を始めとする専門家向けの試薬会社のカタログはどんどん分厚くなっていったのかもしれませんが、業界として「市場」と呼べるほどのものを形成するまでは至っていなかった気がします。10兆円を超すパチンコ産業に比肩する市場になりうるかどうか、それが問題だ、といったことを言っておられる先生もおられました。結局それほど大きな産業には成長せず、その一方で甘い見通しで生物系の博士課程の定員を大幅に増やしてしまった、がゆえにポスドク問題が出て来た、というのは、良く聞かれるストーリーの一つです。

なんでバイオなどという言葉を持ち出したかと言いますと、某新聞の日曜版ならぬ土曜日版Beというのがありまして、新聞というのは偏った記事を読むたびにこれはちがうだろうと腹が立ち、文句の一つも言いたくなり、こんなんがあるから世の中暗く見えてくるんだと愚痴が始まり、朝っぱらからそれだから極めて精神衛生上よろしくない、それなら購読をさっさとやめれば良いのに、これがどうして習慣になるとなかなかやめられない、一通り一面の記事の批評をしてからでないと一日が始まらない、一体自分は何をしているのだと、、、あ、話がそれてしまいました。新聞・マスコミのことになると2年間ぐらい語り続けてしまいそうなので、本題に。先週ぐらいだったかそのBeの特集に、アマゾンの創始者、ジェフ・ベゾスさんのインタビュー記事が載っていました。1990年代半ば、ネットが急速に拡大している状況に刺激を受け起業し、いまや誰もが知っている巨大企業アマゾンを作った彼。今、いったいどんな事に興味があるんですか?という新聞記者としては珍しく真っ当な質問に、「うん良い質問だ。それはバイオだよ。」と、さらり。

これには正直ビックリしました。ナノテクノロジーとか宇宙産業とかなら何となく分かるような気もするのですが、バイオって、、、もう死語のような気もしていたので。

しかるに。かつて8ビットの「パソコン」が各家電会社から一斉に販売され、一般家庭にも徐々にコンピューターが浸透しつつあった1980年代初頭。ASCIIやらベーシックマガジンやらいろいろなパソコン雑誌が発行され、これからどれだけ大きな市場になるのだろうと、一部の人はおそらく大きな期待を持っていたのだと思います。ただ、実際にその流れが一気に加速したのは間違いなくインターネットの登場で、それ以前は、過剰な期待と現実を見ての失望感が延々と繰り返されていて、いわばオタクの範疇を出ないツール。コンピューターとはそういうものだったのが、ネットとの抜群の相性で、大きな産業となりました。

生命科学も、そういった時期にさしかかっているのかもしれません。既存の分野に長く居るとその限界も良くわかるが故に、とかく悲観的になりがちです。結局ガンなんて直せないのだとか、脳科学が発展したと言ってもゲーム脳とかいう怪しげな言葉を流行らせただけだとか、まあたしかに現実は厳しいのですが、少なくとも「文化」として、生命科学が一般に広く浸透しうる素地はかなり出来つつあるのではないかと。次世代シークセンサーの登場もそうですし、iPSなどという技術の登場もそうです。おとぎ話の王子でも昔はとても食べられないアイスクリームなんて歌がありましたが、アリストテレスもカハールも出来なかった事が我々には今出来る。うまく使えるかどうかというのはまた別問題ですが、そういったツールを使えるという幸せだけは、昔はとても出来なかった実験でいろいろ試す事が出来るという幸せだけは、いくら噛みしめても決して無くなる事はありません。

さて、そんな現在。一体何をしましょう。

中川

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