January 15, 2012

lncRNAのパラドックス(1)

今はどうか知りませんが、僕がかつて籍を置いた大学では教養過程で誰もが必ず一つとるコマのひとつに論理学というのがありまして、それはおそらくその単位がいわゆる「楽勝」に分類されていたからというのが大きいのでしょうが、それ以上にこの論理学、という言葉の響きがちょうどアノ年頃の学部生の矜持を微妙にくすぐるものであったという要素も多分にあったような気がします。大学生協の本屋のやり手ジジイ、いや、店長はその辺りを良くわかっていて、まるで授業の進行に合わせるかのように折に応じて最新の、あるいは数年前の新書を平積みにだしてくる訳です。論理学というのは文系の科目に分類されていたような気がするのですが、内容はどう考えても数学だったような気がします。その辺り良く覚えていないのが情けないところですが、ともあれ、論理学の講義でさんざん出てきたパラドックス、という言葉に神秘的な、provocativeな響きを大いに感じ、一度はこういう言葉を使ってみたいなと思ってン十年。も経ってはいませんが、今現在、実際に仕事をしていてつくづく思うのが、

「lncRNAのパラドックス」

です。これはどういうパラドックスかといいますと、厳密にいえばパラドックスでも何でも無いのかもしれませんが、

「機能しているlncRNAは、ほとんど検出できない」

という、体感上の、ちょっと奇妙な事実です。

僕自身はこれまでlncRNAの機能を考える上で、タンパク質に翻訳されないのであれば、すなわち一本のmRNAが数百数千個のタンパク質として働きうるという増幅作用が無いのであれば、機能的なlncRNAはすべからく発現量が多いであろう、従って、発現量が多いものから機能解析をしてゆけばlncRNAが関わっている未知の生理現象を垣間みることができるのではないか、という単純な発想のもとチビチビKOマウスを作ってきたのですが、どうもこれが「一見」芳しくない。Gomafuに始まり、Malat1もNEAT1も、少なくとも胚発生過程には異常は見られませんし、大人の個体もぱっと見た感じは正常です。

しかるに、ばんばん、世の中にはlncRNAの重要な機能を見つけたという論文が出てくるわけです。特に、今世代シークエンサーやマイクロアレイを駆使した論文は、HOTAIRを嚆矢として、ここ数年、矢継ぎ早に、いわゆる色っぽい雑誌にお目見えしています。これははっきり言って悔しい。そして、つい最近発表されたCyranoですか。つい先日来日されたBartelさんのTokyo RNA Clubでの話を聞いた時は、悔しいを遥かに通り越して、もういいや、という諦めの境地でもあったのですが、常々どうしても納得がいかなかったのは、なんでこう誌上を賑わす遺伝子は、ほとんど発現していないものばかりなのか、ということです。細胞あたり一分子で機能している、なんて馬鹿げているではないか、と。

とはいえ、ふと思い出してみると、遥か昔学部の授業で使っていた、某ブログで有名なY先生が編集された生物物理学演習とかいう本の中には、転写因子(たしかlacオペロンがらみのなんちゃらだったとおもうので原核生物のですが)は一細胞あたり数分子しか無い、というモル計算の問題がものすごく最初の方に出てきていたような気がします。あまりにも難解な本で、というかちょっと時代がずれている本だったので最初の2、3ページの問題を見てすぐ挫折したのを覚えているので、極めて最初の方の問題であったのは間違いないです。なんか話が毎度のごとくそれてしまいましたが、重要な分子は、細胞に一個か二個あればよいのだと。特に、個々の遺伝子などというのは細胞あたり高々2分子しか無い訳ですから、その制御に関わるものは、別に少なくても構わないというのは、たしかに納得のいく議論です。

で、そのあたりどうなんでしょう、というのをBartelさんにぶつけてみたのですが、以前のレポートにもあったように、ちょっとしばらく間を置いて、首をひねって、慎重に言葉を選びながら、うん、たしかにCyranoは発現量は低いと。それはすごく気になるところだと。しかしそれはXXXX,,,

ここからさきは秘密でも何でも無い、いきなりペラペラしゃべりだしたのでただ単に英語力不足のために何を言ってるか分からなかっただけなのですが、Bartelさんほどの方でも、なにかしら、気になる所では、あったようです。

このパラドックス、どう考えたら良いのでしょう?(つづく)

中川

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