March 24, 2013

評価と評価

大河ドラマついに始まりましたが、大河ドラマだけあって、毎日更新とはいかないようです。月にいっぺんぐらいでしょうか。暖かく、見守ってください。現在進行形でのバイオインフォマティシャン誕生物語になるか!とも思ったのですが。そもそも、まだ「成っていない」人が、現状を語るというのは、結構ハードルが高いのでしょう。

とは言え、先人の偉大な回顧録を聞く機会は多いですが、人生の糧にはなっても、実践的にはあまり役に立たない事が多い、なんてことはないでしょうか。いや昔は苦労しましてね、こんな材料を、こんなところで手に入れましてね、というのは、話としては面白いのですが、また、明日へのモチベーションは高くなるのですが、直接役立つという話ではありません。僕の世代の苦労話と言えば縮重プライマーを用いたファミリー分子取りやサブトラクションスクリーニングにまつわる話でしょうが、ゲノムが解読されて次世代シークエンサーがある今の若い世代の人には、100%、役に立たんでしょう。仕事の価値というのは、時代によって変わるものです。昔の事をずっとやっていてもダメ。それは当然ですが、変化の早いこの時代、仕事の評価というのは、とてつもなく難しものだと思います。

論文の価値も、評価不可能です。インパクトファクター、引用数、いろいろありますが、ある一面を切り取っていますが、万能な評価ではないのは明らかです。インパクトファクターは論外ですが、引用数だけ見ても、それが学問的な価値を反映しているとは僕には到底思えません。少なくとも、僕自身がほんのちょっぴりサイエンスの世界で積み重ねてきた数少ない業績を振り返ってみても、自己評価(多分ピアレビューと言う意味ではかなり正確なはず)と、インパクトファクターは一致しないのはもちろんの事、引用数ですらあまり相関はありません。

話はそれますが、昨日、実に嬉しい出来事がありました。そう。第2回電王戦第一局。見事、コンピューターに、阿部光瑠4段が完勝しました。印象的だったのは、プロの解説者が口を揃えてこれは無理攻めだろうというコンピューター側の攻撃を、多くのコンピュータソフトの評価関数では「良し」としていた点です。プログラムの穴と言えば穴なのでしょうが、要は20手ぐらいはずっと形勢が良いけれどもそのあとぱたりと形勢が悪くなる、という一手を、コンピューターは先を読めずに選んでしまっているのですね(それ以上先を読もうとすると組み合わせの数が指数的に増大するので宇宙の年齢ぐらい時間がかかってしまう)。将棋の場合は王さまが取られたら負けなので研究とは全く比較できませんが、コンピューターのプログラム上の評価関数の根本をくつがえすような阿部光瑠4段の差し回しは、同じ人類として快哉を叫びたいとともに、評価って言うのは一体なんなんだろう、ということを改めて思い返してしまいました。

野依さんは蓮舫さんに「歴史の法廷に立つ覚悟があるのか!!!!」と一喝されました。多くの研究者も同感だったに違いありません。僕もそうでした。が、正直、(科学技術を取り巻く諸問題に対する)日々の行動に関して歴史の法廷に立つ覚悟は、僕自身、あまりありません。人間、いろいろ弱いものですから。ただ、実験の結果だけは、これは真実ですから、信じられるし、覚悟もあるんですよね。残酷な事に多くの実験結果は「ふふふ、まだまだおぬし、未熟じゃのう」と今日もまた不適な笑いを浮かべているのですが。

中川

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