東京大学工学部鈴木研究室所属、修士1年の八代と申します。
先日、産業技術総合研究所、臨海副都心センターにて行われました「Tokyo RNA Club The 11th meeting」へ参加させていただきました。その際に感じたことなどを稚拙ながらまとめて、レポートとさせていただきたいと思います。
全体としては会場からのきれいな夜景と、発表や質疑応答する会場の方々の熱心な姿が強く印象に残っています。
発表の内容は、翻訳の制御やスプライシングなどの機構に関するもので、タンパク質の発現を操るための機構というのは細胞に沢山あって、ncRNA含めRNA分子という視点はそれと密接に関連しているのかな…(と、今内容の復習をしながら漠然と)思いました。
個人的には、プロの研究者の方々の発表を聴く機会は多くなく貴重な機会ですが、実験と結果を追う事に精一杯になってしまいつい頭の中が辞書的になりがちであったことが、思い返すと反省されます。日頃からもっと勉強したり考える工夫をしたりしていれば、研究を行った人が実際にその発表をしているという場で、より立体的に感じ興奮することが出来るのではないだろうか…などと想像して楽しみにしながら、これからも日々努力したいです。またこういったモチベーションを得る機会のあることに本当に感謝したいと思います。
八代
はじめまして、東京大学工学部鈴木研究室M1の平田と申します。(同期の八代さんにまき込まれ)先日のTokyo RNA clubの感想を書かせていただきます。
と言いましても、実験の都合で実際に聞くことができたのはコーヒーブレイク後の2題だけですし、時間も空いてしまい細かいところまで思い出せないため、発表に対する感想というよりはミーティング後に薄ぼんやりと考えたことを書くことにします。
端的にいえば、英語!!!ですね。この世界で生きていくには、やはり英語が話せないというのは不利、どころか致命的なんだなーと感じました。
正直に言いますと、今回聞いていてもよくわからないところが結構ありました。発表も質問もそれに対する回答もすべて英語。英語が話せなければあの中に入っていくこともできないんだと愕然としました。
自分があんな風に英語でディスカッションしている姿なんて今のところ想像もできませんが、できれば世界はずっと広がるでしょうし、なにより将来に関していろいろと決めかねている現状で、英語ができないという点だけで道を狭めたくはありません。
年末年始を利用して、実家でぬくぬく考えてみようかとか思っています。
少し論点のずれた感想ではありましたが、これにて終わらせていただきます。
またこのような機会がありましたらぜひお邪魔させていただきたいです。今度は懇親会にも。。
平田
December 31, 2012
December 23, 2012
お金があるのに使えない
大学や研究所で研究をしていると、お金があるのに使えないという状況に良く遭遇します。有名なのは年度末の使用制限。ひどい場合は12月までに、多くの場合は1月までに使い切ってくださいというお達しが来ます。はいはいわかりました、と、何かを買った事にして、業者に預け金としてプールする、というのが、前世紀の悪習であったのではないでしょうか。変なルールに悪い慣習、これがセットでなんとか回っていたと。「越後屋、お前もワルよのー」みたいな世界です。
でも、自然に考えれば、不正経理も無くして、変なルールも変えれば、それこそ何の問題も無い訳です。昨今では不正経理に関する罰則も厳しくなりましたし、研究者サイドも努力して不正経理はやめようと言う流れになっていると思います。誰だって後ろめたい事はしたくありませんし、建前と実体が離れているのは気持ちの悪いものです。
あとは変なルールさえ変わってくれれば、、と常々思っていたのですが、総務省の方から、パブリックコメントを募集しているようです。リンクはこちら。
・1月中に使い切れと言われていて、研究計画の実施に支障が出ている。
・学会発表の出張のついでに自費で共同研究者の研究室を訪問しようとしたら、学会発表とは用務が違うという理由で帰りの飛行機代も自費で払うように言われた。
・二つの科研費に密接に関わるプロジェクトの成果発表をするために出張費を合算で請求しようとしたが出来なかった。
・ネットショップで見つけた最安値の業者に発注してくれと契約課に頼んだけれども、指定業者でないからそれは出来ないと言われた。
みたいな例はたくさんあると思います。実際に困った事がある方は、コメントを寄せれば、変なルールが無くなってくれるかもしれません。逆に言えば、こういう機会に声を上げなければ、あ、そう、別に困っていないのね、ということになってしまうかもしれません。
お役所からこういうアクションがあるのを見ていると、世の中は、動いているな、というのを感じます。
中川
でも、自然に考えれば、不正経理も無くして、変なルールも変えれば、それこそ何の問題も無い訳です。昨今では不正経理に関する罰則も厳しくなりましたし、研究者サイドも努力して不正経理はやめようと言う流れになっていると思います。誰だって後ろめたい事はしたくありませんし、建前と実体が離れているのは気持ちの悪いものです。
あとは変なルールさえ変わってくれれば、、と常々思っていたのですが、総務省の方から、パブリックコメントを募集しているようです。リンクはこちら。
・1月中に使い切れと言われていて、研究計画の実施に支障が出ている。
・学会発表の出張のついでに自費で共同研究者の研究室を訪問しようとしたら、学会発表とは用務が違うという理由で帰りの飛行機代も自費で払うように言われた。
・二つの科研費に密接に関わるプロジェクトの成果発表をするために出張費を合算で請求しようとしたが出来なかった。
・ネットショップで見つけた最安値の業者に発注してくれと契約課に頼んだけれども、指定業者でないからそれは出来ないと言われた。
みたいな例はたくさんあると思います。実際に困った事がある方は、コメントを寄せれば、変なルールが無くなってくれるかもしれません。逆に言えば、こういう機会に声を上げなければ、あ、そう、別に困っていないのね、ということになってしまうかもしれません。
お役所からこういうアクションがあるのを見ていると、世の中は、動いているな、というのを感じます。
中川
December 20, 2012
最近の若いもんは
「最近の若いもんは」、というのはメソポタミアの時代からある決まり文句で、熱意が無い、夢が無い、視野が狭い、努力が足りない、遊びも足りない、、、、、(以下略)の枕詞としてはおそらく最古の歴史を誇っていると思います。なにせ文明の始まりとともに生まれた言葉ですから、いくばくかの真実を含んでいるに違いなく、もしかすると人は年をとればとるほど夢が広がって(人によってはありそうな話です)、視野が広くなって(これはそうかもしれません)、努力をするようになって(そういう人も中には、、)、先輩へ敬意を示すようになって(先輩はもう鬼籍に入っているかもしれませんが)、遊ぶようになって(それはそうかも)、、、ということなのかもしれません。何だそうだったのか。納得。
冗談はさておき、「若い人」がとかく話題になりがちなのは、期待の裏返しであることは間違いありません。とんだおせっかい、という気もしますが、お節介には負けん気で対抗するのも大事なような気がします。僕が学生時代のころを振り返ってみると、独特の皮肉で学生の自尊心をチクッと刺激することにかけては一級品だった某Y御大の授業でだいぶこれをやられ、何クソとムキになって勉強したのをよく覚えています。
「君らは大学が勉強をするところとか思っていないんでしょ」
「まあ最近は大学が研究をするところでもなくなってきてるかも知れないしね」
「君らんなかで必須アミノ酸の構造式かけるひとなんているのかね」
「最近の学生は質問しないからね」
「、、、」
10分に一回ぐらいこれですから。毎週金曜日の2コマ目(だったかな)のあとはアドレナリン全開です。あまりにムカムカしてきて気持ちを静めるために授業が終わるやいなや大文字山を駆け上がって頭を冷やしたこともあった、、、いやこれは大げさか。
期待されているうちが華とは良く言ったもので、中堅の研究者になるとデフォルトでは注目度ゼロになってしまいますから、そういう意味では文句を言われようが何しようが、気にかけてもらえるのは若者の特権であるような気がします。
分子生物学会でも、その後のTokyo RNA Clubでもたくさんの若い人を見かけました。若い人にはある日突然人生が変わるような出会いやチャンスがたくさんあるはずです。そのチャンスを絶対に逃さない、という気持ちで日々頑張りたいものです。僕もまだ若い、、、つもりですので。
中川
冗談はさておき、「若い人」がとかく話題になりがちなのは、期待の裏返しであることは間違いありません。とんだおせっかい、という気もしますが、お節介には負けん気で対抗するのも大事なような気がします。僕が学生時代のころを振り返ってみると、独特の皮肉で学生の自尊心をチクッと刺激することにかけては一級品だった某Y御大の授業でだいぶこれをやられ、何クソとムキになって勉強したのをよく覚えています。
「君らは大学が勉強をするところとか思っていないんでしょ」
「まあ最近は大学が研究をするところでもなくなってきてるかも知れないしね」
「君らんなかで必須アミノ酸の構造式かけるひとなんているのかね」
「最近の学生は質問しないからね」
「、、、」
10分に一回ぐらいこれですから。毎週金曜日の2コマ目(だったかな)のあとはアドレナリン全開です。あまりにムカムカしてきて気持ちを静めるために授業が終わるやいなや大文字山を駆け上がって頭を冷やしたこともあった、、、いやこれは大げさか。
期待されているうちが華とは良く言ったもので、中堅の研究者になるとデフォルトでは注目度ゼロになってしまいますから、そういう意味では文句を言われようが何しようが、気にかけてもらえるのは若者の特権であるような気がします。
分子生物学会でも、その後のTokyo RNA Clubでもたくさんの若い人を見かけました。若い人にはある日突然人生が変わるような出会いやチャンスがたくさんあるはずです。そのチャンスを絶対に逃さない、という気持ちで日々頑張りたいものです。僕もまだ若い、、、つもりですので。
中川
December 12, 2012
ゴッドファーザー
おかげさまで無事にエピジェネティックスのシンポジウムが終わりました。
無事に???
果たして無事だったのかどうか分かりませんが、開始五分前になっても最初の講演者の笹井さんが現れなかったり(直前のランチョンセミナーで話されていたのです)、笹井さんの話の途中に「現在予備電源で稼働しています」という警告が出てスタッフ大慌てになったり(それでも瞬時に対応をされて何も無かったかのように話を続けておられた笹井さんはさすがです)、プログラムを良く見たら5分と伝えていた僕のイントロがなぜか40分もあることになっていたり(日程表の最終チェックが甘かったです。他会場と往復されていた方々には大変ご迷惑をおかけしました)、Cremerさんだとおもって握手したらSolterさんだったり、、、
いつもいつも、もっとしっかり準備しようと思いながら、なにかしら抜けていて反省する事しきりなのですが、あこがれのCremerさんの話もじっくり聞けたし、個人的にはとても楽しむ事が出来ました。あこがれなのに顔を知らなかったのか、というツッコミはおいておいてください。論文には顔写真はのっていませんから。
シンポジウムの後での打ち上げには泊さんたちのワークショップのゲストも合流して、海外ゲスト6人。たぶん彼らは絶対に二度と行く事が無いような普通の居酒屋に行ったのですが、全ての海外ゲストがnon-USAであることにふと気づきました。良く思うのですが、英語がネイティブの人と話をしていると、英語は聞き取りやすいし、向こうがこちらの意をくんでくれたりしてなんだかとても話しやすいのですが、非英語圏の方々と話をするときは、なかなかそうはいきません。ともすると半分も聞き取れませんし、僕が言いたい事も1、2割しか伝わっていないと思うのですが、実に不思議な事に、会話自体はネイティブの人と話しているのと同じぐらい(もしかするとそれ以上に)成り立っていることが多いような気がします。お互い言葉に詰まりながら、手探りで一つ一つ会話を紡いでゆく。話をしたい人と話が出来る。普通だったら絶対に話が出来ない人と話が出来る。学会というのはやはり良いものだなあとつくづく思いました。
ホテルに帰る道すがらCremerさんに、そういえばCremer&Cremerの論文があるみたいですがあれは、、、と聞いてみたところ。
「そうそう、あれは僕のBrotherでね。サイエンスはファミリービジネスでね。両親も研究者でね。でも分野は違うんだけどね。ファミリーって言ってもマフィアじゃないけどね。はっはっ。」
とのことでした。心の中でそっとゴッドファーザー、とささやいて、お分かれいたしました。
中川
November 22, 2012
知ってるつもり?のエピジェネティックス(2)
そもそもエピジェネティックスとは何なのでしょう。今度の分子生物学会で塩見の春さんが書かれたシンポジウムの紹介文をここに引用します。
かつて Waddington が 1942 年に定義した「エピジェネティックス」とは、遺伝子がどのように形となって我々 が目にするところの表現型へとつながるのか、その因果関係を調べる学問であった。これは即ち、現在我々が発 生生物学なり、進化発生学のシステムバイオロジー的研究、と呼んでいるところの学問とほとんど変わりはない。 ところが、Waddington が提唱したこの(神聖なる)エピジェネティックスという概念は、昨今では単に DNA やヒストンの化学修飾を調べる狭義の(味気ない)学問のことを指すようになってしまった感がある。そもそも、 エピジェネティックスの定義が「DNA の変化を伴わない、世代を超えた遺伝子伝達機構」を表すようになった のは、実は 1990 年代、つい最近のことに他ならない。過去の歴史を遡ってみれば、エピジェネティックス研究 は「エピジェネティックス相互作用」と「エピジェネティックス修飾」の二つの研究領域ー発生の過程において 細胞や組織が周囲の環境とどのように相互作用して変化を遂げてゆくか、という学問と、ゲノム DNA の機能が どのように修飾されていくのかを調べる学問ーにまたがって進められてきた経緯があり、また現在においても本 質的にそれは変わらないのである。
いかがでしょうか。エピジェネティックスには
epigenetic interaction「エピジェネティク相互作用」
epigenetic modification「エピジェネティック修飾」
の二つの学問があると。そのうち後者は、いわゆる僕らが昨今耳にする「エピジェネの研究」。クロマチン免疫沈降してバンドを出して、という流れの研究ですが、epigenetic interactionというのは、いまいちピンと来ません。そもそも今日ではepigenetic interactionといえば、単なる「遺伝学的相互作用」とはなにかちがうぞ、と思わせながら実は二つの転写因子の効果を調べただけの、実体はあまり無いジンクピリチオン効果を持つ言葉として濫用されている感すらあります。
1942年と言えば第二次世界大戦中、まだDNAが遺伝を担う物質であったことがようやく分かり始めた時代です。発生生物学の業界では有名なシュペーマンのオーガナイザーの活性を担う物質探しをした研究者の努力が徒労に終わり、その一方でショウジョウバエの遺伝学的研究の進展もあって生き物の形態が(実体は分からないけれども)遺伝子で制御されているという概念が革命的に確立されてきたころでしょうか。当時の「エピジェネティックス」という言葉が意味するところの概念は今よりもずっと広かったことは容易に想像できますが、実は現在もテクノロジーが急速に進歩してきた、という点である意味同様な状況にあるのかな、とも思います。
ノザンがqPCRに取って代わられ、アレイがそれを引き継いで、現在ではRNAseq。アレイやRNAseqの結果はqPCRで確かめないと、という言葉はそっくりそのまま、RT-PCRなんて信じれるけー、ノザンやノザン、poly-A(+)10ug突っ込んでバンド出せー、というかつて自分が叫んでいた雄叫びと何ら変わりはありません。実際は新しいテクノロジーは古いテクノロジーを多くの場合凌駕しているのですが。
話がだいぶそれてしまいましたが、何となく思うのは、階層をつなぐ困難さ。これは時代を超えて常に存在していたのではないかと。エピジェネティックスという言葉は、遺伝子、つまりジェネティクスという概念が流行しかつ跋扈していた時代に、そんなもので説明されてはたまらんと。もっと上の階層があるだろうと。そこで出てきた言葉がepiなのかもしれません。epiといわれれば黙らざるを得ません。なにせ上だから。
エピジェネティックスという言葉には、ジンクピリチオン効果の匂いが多分に漂っているような気もします。しかしながら、遺伝子だけでは分からない、という気概には激しく同感です。古生物学者かつ発生生物学者であったWaddingtonが提唱したepigeneticsのすばらしさ、生命の不思議さ。細かいところは分かってきたけれどもまだまだ全然分かっていないじゃないですか。生物ってやっぱりすごく不思議じゃないですか。そのようなものに触れられるシンポジウムになれば良いな、と願っています。
中川
かつて Waddington が 1942 年に定義した「エピジェネティックス」とは、遺伝子がどのように形となって我々 が目にするところの表現型へとつながるのか、その因果関係を調べる学問であった。これは即ち、現在我々が発 生生物学なり、進化発生学のシステムバイオロジー的研究、と呼んでいるところの学問とほとんど変わりはない。 ところが、Waddington が提唱したこの(神聖なる)エピジェネティックスという概念は、昨今では単に DNA やヒストンの化学修飾を調べる狭義の(味気ない)学問のことを指すようになってしまった感がある。そもそも、 エピジェネティックスの定義が「DNA の変化を伴わない、世代を超えた遺伝子伝達機構」を表すようになった のは、実は 1990 年代、つい最近のことに他ならない。過去の歴史を遡ってみれば、エピジェネティックス研究 は「エピジェネティックス相互作用」と「エピジェネティックス修飾」の二つの研究領域ー発生の過程において 細胞や組織が周囲の環境とどのように相互作用して変化を遂げてゆくか、という学問と、ゲノム DNA の機能が どのように修飾されていくのかを調べる学問ーにまたがって進められてきた経緯があり、また現在においても本 質的にそれは変わらないのである。
いかがでしょうか。エピジェネティックスには
epigenetic interaction「エピジェネティク相互作用」
epigenetic modification「エピジェネティック修飾」
の二つの学問があると。そのうち後者は、いわゆる僕らが昨今耳にする「エピジェネの研究」。クロマチン免疫沈降してバンドを出して、という流れの研究ですが、epigenetic interactionというのは、いまいちピンと来ません。そもそも今日ではepigenetic interactionといえば、単なる「遺伝学的相互作用」とはなにかちがうぞ、と思わせながら実は二つの転写因子の効果を調べただけの、実体はあまり無いジンクピリチオン効果を持つ言葉として濫用されている感すらあります。
1942年と言えば第二次世界大戦中、まだDNAが遺伝を担う物質であったことがようやく分かり始めた時代です。発生生物学の業界では有名なシュペーマンのオーガナイザーの活性を担う物質探しをした研究者の努力が徒労に終わり、その一方でショウジョウバエの遺伝学的研究の進展もあって生き物の形態が(実体は分からないけれども)遺伝子で制御されているという概念が革命的に確立されてきたころでしょうか。当時の「エピジェネティックス」という言葉が意味するところの概念は今よりもずっと広かったことは容易に想像できますが、実は現在もテクノロジーが急速に進歩してきた、という点である意味同様な状況にあるのかな、とも思います。
ノザンがqPCRに取って代わられ、アレイがそれを引き継いで、現在ではRNAseq。アレイやRNAseqの結果はqPCRで確かめないと、という言葉はそっくりそのまま、RT-PCRなんて信じれるけー、ノザンやノザン、poly-A(+)10ug突っ込んでバンド出せー、というかつて自分が叫んでいた雄叫びと何ら変わりはありません。実際は新しいテクノロジーは古いテクノロジーを多くの場合凌駕しているのですが。
話がだいぶそれてしまいましたが、何となく思うのは、階層をつなぐ困難さ。これは時代を超えて常に存在していたのではないかと。エピジェネティックスという言葉は、遺伝子、つまりジェネティクスという概念が流行しかつ跋扈していた時代に、そんなもので説明されてはたまらんと。もっと上の階層があるだろうと。そこで出てきた言葉がepiなのかもしれません。epiといわれれば黙らざるを得ません。なにせ上だから。
エピジェネティックスという言葉には、ジンクピリチオン効果の匂いが多分に漂っているような気もします。しかしながら、遺伝子だけでは分からない、という気概には激しく同感です。古生物学者かつ発生生物学者であったWaddingtonが提唱したepigeneticsのすばらしさ、生命の不思議さ。細かいところは分かってきたけれどもまだまだ全然分かっていないじゃないですか。生物ってやっぱりすごく不思議じゃないですか。そのようなものに触れられるシンポジウムになれば良いな、と願っています。
中川
November 14, 2012
知ってるつもり? のエピジェネティックス
吐く息も白くなり、明日あたりはいっそう冷え込みそうです。一人暮らしの学部の学生さんですとこの時期はこたつを引っ張りだして冬ごもりの準備。夏休みに買い込んで読み損ねた文庫本を抱えて孤愁の季節、なんて趣かもしれませんが、ピペット片手に日々奮闘している実験生物学のフィールドの人は、来るべき分子生物学会に向けて、最後の追い込みに慣れない、もしくは慣れきった夜更かしを重ねている季節なのでしょうか。
学会、といえば一昔は一つで十分、ちょっと同窓会もかねて二つ、ぐらいだったのが、研究会も含めれば年に数回(多い人は十数回??)、というのも珍しくなくなって来たような気がします。楽しいけれどもそれはそれで忙しいなあ、と常々思っていたら、正面からそれを取り上げたブログもあるようで、でも当の本人が来年大会長をされるようですので、どうなることやら楽しみです。
なにはともあれ、分子生物学会。当新学術とは直接関係はありませんが、塩見の春さんが(本所の鐵とか、野槌の弥平とか、みたいで鬼平チックな言い方ですね)エピジェネティックスのシンポジウムを企画されています。そもそも、エピジェネティックスって何なんだろう?という趣旨の企画ですね。
エピジェネティックか、エピジェネティクスか、エピジェネティックッスとつまるのか、はたまたエピジェネか。申請書を書くときはちょっと迷ってつい最近もGoogle先生にお訪ねしていたりしたものですが、この言葉、ここ数年、実に良く耳にします。数年前、徳島で発生生物学会があったときに当時遺伝研におられた佐々木さんがエピジェネの企画をオーガナイズされていたときの最初のスライドは、
「萌っ!!』
と微笑んでいる短いスカートの美少女の萌キャラでひっくり返ってしまったのですが、つまりそれは佐々木さんが萌キャラが好きという訳ではなくて、エピジェネティックスの研究業界はそれほどメジャーではない。少なくとも発生生物学会ではメジャーではない。一部の人が熱狂的に研究している分野として紹介されていたのですが、当時でも十分メジャーだったような気はします。Shhの3文字には反応するけれどもNMDの3文字はスルーしていた当時の僕からすると、目から鱗の、大変面白い話でした。
話の中心は、ヒストンの修飾と、DNAの修飾。ChipやらChip on Chipやら、およそ縁遠いものと思っていた言葉が最近ではかなり見近に感じられるようになってきたのですが、そのときの話が強烈に面白くて、あれ以来、クロマチンの修飾なり、DNAの修飾なり、Waddingtonのあまりにも有名な(でもその意味は良く分かっていない)山脈にボールが転がっている地図なりに敏感に反応する体質になってしまったような気がします。
ところが、です。知っているつもりのエピジェネティックスはそうではない、と、血頭の丹兵衛どんが、いや、塩見の春さんがおっしゃるのです。ヒストン修飾が出てこないエピジェネティクスのセッションなんて前代未聞です。さてその真意は??
中川
学会、といえば一昔は一つで十分、ちょっと同窓会もかねて二つ、ぐらいだったのが、研究会も含めれば年に数回(多い人は十数回??)、というのも珍しくなくなって来たような気がします。楽しいけれどもそれはそれで忙しいなあ、と常々思っていたら、正面からそれを取り上げたブログもあるようで、でも当の本人が来年大会長をされるようですので、どうなることやら楽しみです。
なにはともあれ、分子生物学会。当新学術とは直接関係はありませんが、塩見の春さんが(本所の鐵とか、野槌の弥平とか、みたいで鬼平チックな言い方ですね)エピジェネティックスのシンポジウムを企画されています。そもそも、エピジェネティックスって何なんだろう?という趣旨の企画ですね。
エピジェネティックか、エピジェネティクスか、エピジェネティックッスとつまるのか、はたまたエピジェネか。申請書を書くときはちょっと迷ってつい最近もGoogle先生にお訪ねしていたりしたものですが、この言葉、ここ数年、実に良く耳にします。数年前、徳島で発生生物学会があったときに当時遺伝研におられた佐々木さんがエピジェネの企画をオーガナイズされていたときの最初のスライドは、
「萌っ!!』
と微笑んでいる短いスカートの美少女の萌キャラでひっくり返ってしまったのですが、つまりそれは佐々木さんが萌キャラが好きという訳ではなくて、エピジェネティックスの研究業界はそれほどメジャーではない。少なくとも発生生物学会ではメジャーではない。一部の人が熱狂的に研究している分野として紹介されていたのですが、当時でも十分メジャーだったような気はします。Shhの3文字には反応するけれどもNMDの3文字はスルーしていた当時の僕からすると、目から鱗の、大変面白い話でした。
話の中心は、ヒストンの修飾と、DNAの修飾。ChipやらChip on Chipやら、およそ縁遠いものと思っていた言葉が最近ではかなり見近に感じられるようになってきたのですが、そのときの話が強烈に面白くて、あれ以来、クロマチンの修飾なり、DNAの修飾なり、Waddingtonのあまりにも有名な(でもその意味は良く分かっていない)山脈にボールが転がっている地図なりに敏感に反応する体質になってしまったような気がします。
ところが、です。知っているつもりのエピジェネティックスはそうではない、と、血頭の丹兵衛どんが、いや、塩見の春さんがおっしゃるのです。ヒストン修飾が出てこないエピジェネティクスのセッションなんて前代未聞です。さてその真意は??
中川
November 13, 2012
国民が納得するサイエンスって?
昨今ではファーブルのようにスカラベの研究をしていても少年少女に夢を与えるという訳にはなかなかいかないようで、世の中の役に立つ研究を、成果を社会に還元を、という声が良く聞かれます。多額の研究費をもらっていながら成果が見えないと「国民」が納得しない、と、財務省が言っている、と文科省が言っている、と偉い先生のだれそれが言っている、からそうせい、ということなんですが、本当の所どうなんでしょう。この一連の流れのラスボスの財務省というとちょっとおっかないところというイメージがありますし、最近のホームページなど見てみると、確かにおっかなそうな、物騒な議論が進められているているようですが、普段身近に接する「国民」、たとえば子供の同級生の親御さんたちと話をしていると、研究者といえば変な人、スカラベフェチみたいな人ばかり、というイメージがしみ込んでいている様です。それで許してくれているかどうかは別問題ですが、上の人からガミガミ言われるよりはずっと優しい視線で見てくれているような気もします。
例えばなにかしらものを作って売っている会社であれば、ものが売れれば儲かりますし、売れなければ会社はつぶれてしまいます。ユーザーが実際に手に取ってみて、使ってみて、なんだこれ、たんなるハリボテか、などと思われるようなものは、自然消滅します。マイナスイオンなんて言うものもありましたが、なんだ効かねーじゃねーかと誰かが言い始めるまでもなく、あっという間に廃れて商品化されなくなりました。健全健全。
一方で、研究の世界で、研究成果がこのような競争原理によってわかりやすく自然淘汰されているか、というと必ずしもそうではないのではないでしょうか。捏造なんていうのは論外ですが、きちんと実験をした結果であったとしても、例えば特殊な条件でのみ成立して全然一般性が無いものであったり、そもそも「専門家」から見れば実験のデザインからして相当おかしな条件を使っていたり、するものも、相当量混じっているような気がします。長鎖ノンコーディングRNAの分野についていえばstoicheometryや定量性の観点がすっとんでいる事例がしばしば見られるということはここでもふれられてきましたが、その手の「一見凄いけどほんとかね」という論文の多くは、あれって再現性無いよね、やばいよね、と、業界の中ではバッテン印がつけられて、その噂は徐々に周りに広まっていくのですが、分野がちょっと違ったりすると、その声は聞こえてきません。公開の場で議論となることも、よっぽどのことがない限り、あまりありません。そうすると、それを発展させてもさして得ることのない袋小路の論文が、「OX誌に掲載された論文」として、かなりの長い時間流通してしまうことになります。
本来、サイエンスとは、小さな発見が連鎖反応を起こしてどんどん新しい発見につながるものであり、そこに喜びや感動や達成感があるものなのだと思います。僕が学生のころ、というと1990年代後半ですが、今日あちらこちらで行われている研究の源流はこの論文にあったのか、というようなものがわんさか掲載された1980年代のDevelopment誌の「伝説のissue」を、心躍らせてページをめくったのをよく覚えています。Neuron誌で言えば創刊直後の数号はまさに伝説。当時はカバーしなければいけない専門領域もそれほど広くなかったため、実験デザインからしてちょっとおかしいなんてものはpeer reviewによって速攻で発見され、掲載以前に葬り去られていたのかもしれません。Peer reviewをくぐり抜けた物は、それがどんな雑誌に掲載された物であっても、荒削りでも将来性豊かな、サイエンスの楽しさを一杯に詰め込んだ作品であったのではないかと。
袋小路論文は、この連鎖反応を停めてしまう減速材です。それが有名な雑誌ならなおさらです。減速材がある程度あったほうが一気に燃料が無くなってしまうことがない、という良い(?)面もあるのでしょうが、それが増えすぎると、連鎖反応自体が停まってしまいます。そうすると、分野としても停滞してしまう。中にいる人間も腐ってしまう。研究業界の外から見ていてもその辺は敏感に分かるもので、なにやっているんだあいつら、ということになってしまうでしょう。世の中の役に立つ研究をこうも求められている一番の理由は、Peer reviewのシステムが徐々に崩壊してきて、袋小路論文があふれて、これぞサイエンス!!!というところを見せられていないから、というところもあるのではないでしょうか。「国民」が求めているものは、既に豊かになった生活をちょっぴり更に豊かにするような発見ではなく、研究者が生き生きと働いている姿、次々と新しいことにチャレンジして、そこでいろいろな発見をするそのプロセスなのではないかと。
サイエンスの発達のためには基礎研究は欠かせない。Curiosity drivenなサイエンスを追究してきたからこれだけの成果があげられた。と巷ではよく言われます。実際そうであると信じていますが、これだけ専門分野が細分化された状況で研究の真贋を確認するのには相当のエネルギーがいりますし、どうしてもインパクトファクターとか被引用数とかいう「客観的」な数字に頼った評価が下されがちです。基礎研究の土台がぐらつき始めているから、基礎研究が大事だと繰り返し言われても信じない、本当に凄い研究なら社会に役立つだろう、それを出してみろ、と、財務相が言っていると、文科省が言っていると、偉い先生が言っている、、、ような気もするのです。
中川
例えばなにかしらものを作って売っている会社であれば、ものが売れれば儲かりますし、売れなければ会社はつぶれてしまいます。ユーザーが実際に手に取ってみて、使ってみて、なんだこれ、たんなるハリボテか、などと思われるようなものは、自然消滅します。マイナスイオンなんて言うものもありましたが、なんだ効かねーじゃねーかと誰かが言い始めるまでもなく、あっという間に廃れて商品化されなくなりました。健全健全。
一方で、研究の世界で、研究成果がこのような競争原理によってわかりやすく自然淘汰されているか、というと必ずしもそうではないのではないでしょうか。捏造なんていうのは論外ですが、きちんと実験をした結果であったとしても、例えば特殊な条件でのみ成立して全然一般性が無いものであったり、そもそも「専門家」から見れば実験のデザインからして相当おかしな条件を使っていたり、するものも、相当量混じっているような気がします。長鎖ノンコーディングRNAの分野についていえばstoicheometryや定量性の観点がすっとんでいる事例がしばしば見られるということはここでもふれられてきましたが、その手の「一見凄いけどほんとかね」という論文の多くは、あれって再現性無いよね、やばいよね、と、業界の中ではバッテン印がつけられて、その噂は徐々に周りに広まっていくのですが、分野がちょっと違ったりすると、その声は聞こえてきません。公開の場で議論となることも、よっぽどのことがない限り、あまりありません。そうすると、それを発展させてもさして得ることのない袋小路の論文が、「OX誌に掲載された論文」として、かなりの長い時間流通してしまうことになります。
本来、サイエンスとは、小さな発見が連鎖反応を起こしてどんどん新しい発見につながるものであり、そこに喜びや感動や達成感があるものなのだと思います。僕が学生のころ、というと1990年代後半ですが、今日あちらこちらで行われている研究の源流はこの論文にあったのか、というようなものがわんさか掲載された1980年代のDevelopment誌の「伝説のissue」を、心躍らせてページをめくったのをよく覚えています。Neuron誌で言えば創刊直後の数号はまさに伝説。当時はカバーしなければいけない専門領域もそれほど広くなかったため、実験デザインからしてちょっとおかしいなんてものはpeer reviewによって速攻で発見され、掲載以前に葬り去られていたのかもしれません。Peer reviewをくぐり抜けた物は、それがどんな雑誌に掲載された物であっても、荒削りでも将来性豊かな、サイエンスの楽しさを一杯に詰め込んだ作品であったのではないかと。
袋小路論文は、この連鎖反応を停めてしまう減速材です。それが有名な雑誌ならなおさらです。減速材がある程度あったほうが一気に燃料が無くなってしまうことがない、という良い(?)面もあるのでしょうが、それが増えすぎると、連鎖反応自体が停まってしまいます。そうすると、分野としても停滞してしまう。中にいる人間も腐ってしまう。研究業界の外から見ていてもその辺は敏感に分かるもので、なにやっているんだあいつら、ということになってしまうでしょう。世の中の役に立つ研究をこうも求められている一番の理由は、Peer reviewのシステムが徐々に崩壊してきて、袋小路論文があふれて、これぞサイエンス!!!というところを見せられていないから、というところもあるのではないでしょうか。「国民」が求めているものは、既に豊かになった生活をちょっぴり更に豊かにするような発見ではなく、研究者が生き生きと働いている姿、次々と新しいことにチャレンジして、そこでいろいろな発見をするそのプロセスなのではないかと。
サイエンスの発達のためには基礎研究は欠かせない。Curiosity drivenなサイエンスを追究してきたからこれだけの成果があげられた。と巷ではよく言われます。実際そうであると信じていますが、これだけ専門分野が細分化された状況で研究の真贋を確認するのには相当のエネルギーがいりますし、どうしてもインパクトファクターとか被引用数とかいう「客観的」な数字に頼った評価が下されがちです。基礎研究の土台がぐらつき始めているから、基礎研究が大事だと繰り返し言われても信じない、本当に凄い研究なら社会に役立つだろう、それを出してみろ、と、財務相が言っていると、文科省が言っていると、偉い先生が言っている、、、ような気もするのです。
中川
October 11, 2012
Webのパワー
一昔前はディスカッションの際に「Webにのってたんですけどー」などと学生さんが言おうものなら気の荒い助手の先生など回し蹴りなどお見舞いしていたものですが、このごろではWikipediaも「どうでも良い事は何でも分かる」というレベルをクリアして、むしろ下手な講義を聴くよりもよっぽど手っ取り早く知りたい知識にたどり着けるぐらいまで充実してきた感があります。いろいろ複雑な思いはありますが、LNCipediaなんてものまで登場してきました。ちょっとまえにここでも紹介したlncRNA databaseよりはよりlincRNAに焦点を絞ったサイトのような気がしますが、こういうのが出てくるところを見ると世も末、、、なんて言わずむしろ積極的に利用しなくてはいけないのかな、などと思ったりもします。
いわゆるベンチで手を動かす仕事でなくコンピューターを前にしてやる仕事の場合、特にWebとの相性は良いのかもしれません。研究者というのは、よっぽど偏屈な人でない限り、基本的に自分の持っている技術なり知識を他の人に伝えたくてうずうずしている人種だと思うのですが(実験系のラボにいる若い学生さんたちは何か伝えたくてうずうずしている先輩連が周囲にごろごろいるはずですから、そういう人たちをそっとしておくなんていう残酷な事をしないよう!)、残念な事にベンチで手を動かす実験というのは真横で見てもらわないと、伝えようにも伝えられないという空間的な制約があります。それに比べ、データの加工なりダウンロードのちょっとしたコツなどは、ホームページなりブログなり、近頃ではTwitterなりで結構エッセンスのところが伝わったりする訳です。先日も、手持ちのRefseqのリストをAffymetrixのProbe IDのリストに変換できないかなあ、と思い、エクセルのファイルをDgetやらなんやら見知らぬ関数を使ってえっちらこっちらいじっていたのですが(それもちょっと困ったらGoogle窓口に問い合わせにいきながら)、何の事は無い。 e!Ensemblなるページからから入ってBioMartなるサイトに行けば、一気に解決。しかもご丁寧に、「使い倒し系チャンネル」なんていう動画解説サイトまであるのですね。あちこちクリッククリックしていればなんとなく使えるようになっている。データのダウンロードがちんたらしていたらちょっとYahooのニュースも覗いてみたり。結構楽しかったりして。黒田、すごい!!この回も三者凡退か!とか。
RNAseqなどのデータの解析も、こういうサイトなり動画を見ていたりしていると、実際はいろいろ難しいのでしょうが、なんだかやれそうな気にもなってきます。プロになろうとすると、つまり、自分でブログラムを書いたり統合データーベースサイトを作ったりするとなるとそれはそれで大変なのでしょうが。実を言うと40を越えてから新しいテクノロジーに触れるのがだんだん面倒くさくなってきたのですが、昨日だったか、いつも悲観的で後ろ向きな記事しか載せず、昔は良かった、今の政治の劣化は何だ、角栄はやっぱり偉かった、ぐらいしか書けない某新聞の社説欄に、いったん40で人生リセットしましょうよ、ずっと同じ事をしていたら長い人生つまらんでしょう、という40歳定年論を唱える人のすごく前向きな記事が載っていて、えらく刺激を受けてしまいました。ほとんどままごとみたいなレベルでも、ベンチの実験屋がWebを使い倒すことを覚えれば、それはそれなりに強力なアイテムになるのかもしれません。それ以前に、ままごとのような質問でバイオインフォの専門家の貴重な時間を削るような迷惑行為を減らせるかもしれない。。。
そういえば、Genome Researchの特集号で、Encodeプロジェクトの最新の成果がまとめられています。このブログでも取り上げようと思っていたのですが、若い人たちはさすがで、独自に勉強会を開いていて、それなりのまとめがTwitterの#encodejpで拾えるようです。つぎゃるとかいう言葉、初めて知りました。Togetterのページはとりあえずマメ知識を拾うにはなかなかすばらしいです。Webで共有できる知識ならばそこで共有してしまおう。そうでない知識は顔と顔を突き合わせて醸成していこう、そういうスタイルがあたりまえになりつつあるのかもしれません。
中川
いわゆるベンチで手を動かす仕事でなくコンピューターを前にしてやる仕事の場合、特にWebとの相性は良いのかもしれません。研究者というのは、よっぽど偏屈な人でない限り、基本的に自分の持っている技術なり知識を他の人に伝えたくてうずうずしている人種だと思うのですが(実験系のラボにいる若い学生さんたちは何か伝えたくてうずうずしている先輩連が周囲にごろごろいるはずですから、そういう人たちをそっとしておくなんていう残酷な事をしないよう!)、残念な事にベンチで手を動かす実験というのは真横で見てもらわないと、伝えようにも伝えられないという空間的な制約があります。それに比べ、データの加工なりダウンロードのちょっとしたコツなどは、ホームページなりブログなり、近頃ではTwitterなりで結構エッセンスのところが伝わったりする訳です。先日も、手持ちのRefseqのリストをAffymetrixのProbe IDのリストに変換できないかなあ、と思い、エクセルのファイルをDgetやらなんやら見知らぬ関数を使ってえっちらこっちらいじっていたのですが(それもちょっと困ったらGoogle窓口に問い合わせにいきながら)、何の事は無い。 e!Ensemblなるページからから入ってBioMartなるサイトに行けば、一気に解決。しかもご丁寧に、「使い倒し系チャンネル」なんていう動画解説サイトまであるのですね。あちこちクリッククリックしていればなんとなく使えるようになっている。データのダウンロードがちんたらしていたらちょっとYahooのニュースも覗いてみたり。結構楽しかったりして。黒田、すごい!!この回も三者凡退か!とか。
RNAseqなどのデータの解析も、こういうサイトなり動画を見ていたりしていると、実際はいろいろ難しいのでしょうが、なんだかやれそうな気にもなってきます。プロになろうとすると、つまり、自分でブログラムを書いたり統合データーベースサイトを作ったりするとなるとそれはそれで大変なのでしょうが。実を言うと40を越えてから新しいテクノロジーに触れるのがだんだん面倒くさくなってきたのですが、昨日だったか、いつも悲観的で後ろ向きな記事しか載せず、昔は良かった、今の政治の劣化は何だ、角栄はやっぱり偉かった、ぐらいしか書けない某新聞の社説欄に、いったん40で人生リセットしましょうよ、ずっと同じ事をしていたら長い人生つまらんでしょう、という40歳定年論を唱える人のすごく前向きな記事が載っていて、えらく刺激を受けてしまいました。ほとんどままごとみたいなレベルでも、ベンチの実験屋がWebを使い倒すことを覚えれば、それはそれなりに強力なアイテムになるのかもしれません。それ以前に、ままごとのような質問でバイオインフォの専門家の貴重な時間を削るような迷惑行為を減らせるかもしれない。。。
そういえば、Genome Researchの特集号で、Encodeプロジェクトの最新の成果がまとめられています。このブログでも取り上げようと思っていたのですが、若い人たちはさすがで、独自に勉強会を開いていて、それなりのまとめがTwitterの#encodejpで拾えるようです。つぎゃるとかいう言葉、初めて知りました。Togetterのページはとりあえずマメ知識を拾うにはなかなかすばらしいです。Webで共有できる知識ならばそこで共有してしまおう。そうでない知識は顔と顔を突き合わせて醸成していこう、そういうスタイルがあたりまえになりつつあるのかもしれません。
中川
October 9, 2012
山中さんのノーベル賞
山中さんが、といいますか山中先生がノーベル賞を受賞されました。生命科学を生業としている人全てにとって、オリンピック開催地が決定したようなfeeling goodの朗報なのではないでしょうか。
その一方で、クソ、俺はまだノーベル賞とれるようなネタつかんでないぜいーっ!負けてたまるか(誰に勝つの?というツッコミはおいといて)、というような感情を持たれた方も、生命科学の業界の中の人には多いのではないでしょうか。いえいえ私なぞはとてもとても、表では言いつつ、裏では研究者は渦巻く野心と根拠の無い自信を持っているものですから。良い意味で。
また、個人的にそうそう!と思ったのは、理研のホームページにもあった利根川さん、といいますか利根川先生のコメントでした。第二第三の山中さんを作るために必要なのは大型プロジェクではなく、二人か三人でこじんまりとやっている基礎研究なのではないか、というような趣旨のコメントですね。こじんまり、とはいっても、バキバキやろうと思ったら一つの研究室あたり、年間、一千万円ぐらいは必要でしょうから、日常感覚で行くと浮世離れしたところで研究をさせてもらっているのだなあというのは、そう思います。ともあれ、幹細胞とか、エピジェネティックスとか、「山中以前」に分かっていたメカニズムだけでもいろいろ複雑ですし、多能性幹細胞をリプログラムで作るなどそう簡単にできるわけ無いだろうと、多分その道の専門家は思っていたのだと思いますが、ごちゃごちゃした議論を全て吹き飛ばしたのが奈良先端の小部屋で数人で行った手作業だったというのは、実に痛快な話です。
ともあれ、iPSの仕事とは当新学術領域の研究は分野も興味も方向性も違いますが、素直に祝福するより、クソっ!負けてたまるか!(研究とは勝ち負けではないでしょう、というツッコミはおいといて)、という気持ちで目の前の実験に取りかからなくてはいけないな、と思っています。ついつい科研費申請のこのシーズン、書類書きに忙殺されていますよーという言い訳をしながら現実逃避に走りがちです。デスクを離れて現場に戻ろう、と。
中川
その一方で、クソ、俺はまだノーベル賞とれるようなネタつかんでないぜいーっ!負けてたまるか(誰に勝つの?というツッコミはおいといて)、というような感情を持たれた方も、生命科学の業界の中の人には多いのではないでしょうか。いえいえ私なぞはとてもとても、表では言いつつ、裏では研究者は渦巻く野心と根拠の無い自信を持っているものですから。良い意味で。
また、個人的にそうそう!と思ったのは、理研のホームページにもあった利根川さん、といいますか利根川先生のコメントでした。第二第三の山中さんを作るために必要なのは大型プロジェクではなく、二人か三人でこじんまりとやっている基礎研究なのではないか、というような趣旨のコメントですね。こじんまり、とはいっても、バキバキやろうと思ったら一つの研究室あたり、年間、一千万円ぐらいは必要でしょうから、日常感覚で行くと浮世離れしたところで研究をさせてもらっているのだなあというのは、そう思います。ともあれ、幹細胞とか、エピジェネティックスとか、「山中以前」に分かっていたメカニズムだけでもいろいろ複雑ですし、多能性幹細胞をリプログラムで作るなどそう簡単にできるわけ無いだろうと、多分その道の専門家は思っていたのだと思いますが、ごちゃごちゃした議論を全て吹き飛ばしたのが奈良先端の小部屋で数人で行った手作業だったというのは、実に痛快な話です。
ともあれ、iPSの仕事とは当新学術領域の研究は分野も興味も方向性も違いますが、素直に祝福するより、クソっ!負けてたまるか!(研究とは勝ち負けではないでしょう、というツッコミはおいといて)、という気持ちで目の前の実験に取りかからなくてはいけないな、と思っています。ついつい科研費申請のこのシーズン、書類書きに忙殺されていますよーという言い訳をしながら現実逃避に走りがちです。デスクを離れて現場に戻ろう、と。
中川
September 27, 2012
「RNAフロンティアミーティング」に参加して 2年たに組 くろぎ ゆうたろう
タイトルで怒られる前に謹んで自己紹介致します。
今回のフロンティアミーティングでは、ホームページ制作やPC担当、
飲み会の部屋提供担当(?)だった、
熊本大学 自然科学研究科
博士後期2年 谷研究室 の
黒木 優太郎と申します。
ミーティングレポートという事で、先日の会を思い出しながら書いていたのですが、
あまりにも拙い内容しか思い浮かばず、いっそ夏休みの宿題的な感じで押し切ってしまおうと思い、こんなタイトルになりました。
皆様、どうか「閉じる」を押す前に、赤ペン先生になったつもりで温かくご覧下さい。
会の概要や雰囲気については、これまでの皆様のレポートでたくさん紹介されていますので、開催前からの裏話を少しだけ。
今回、私らは会のお世話させて頂く側でした。
井手上先生が会場の手配等でお忙しく働かれている中、私ら学生は丸投げでお任せしていたのですが…。ある日、先生から「黒木君、HPの作成をお願いできますか?」との御依頼。
という事で、私に関して言えば、このあたりからお世話開始でした。
さて、紆余曲折を経て今のHPを作成し終わりました。その後安心しきっている所へ、谷先生から「明日締切なんですが、参加しますか?」とのご提案。裏方から、舞台に立つ側に回った瞬間でした。
話は飛んで会当日。後輩達のテキパキとした仕事ぶりに圧倒されつつ、私は前の方でPC係としてふんぞり返っていたのですが、日頃の行いの成果がその日の夕方に現れます。
セッションが終了し、井手上先生による部屋割発表。谷研OBの方とご一緒でき、嬉しく思っていると、先生がやって来て…
「あ、君たちの部屋、飲み会会場なんだ。」と、井手上先生。
「ですよね。」と、私。
睡眠は諦めました。
いえ、いいんです。これこそがフロンティアミーティングの醍醐味。肝臓を半分くらい生贄にささげる気で来ましたとも。
そして夜。皆さんと楽しく飲んで、楽しく研究相談などをしている内に、だんだん記憶が怪しくなってきて、私の発表の出来も怪しくなってきました。
次の日の朝、絶対私らより飲んでいるはずの先生方が颯爽と朝食をとっている中、半分死にながら朝食を流しこみ、またPC係として踏ん反りかえります。すばらしい発表が続く中、私は翌日の自分の発表の怪しさに焦りを覚えていました。
そして夜。皆さんと楽しく飲んで、前のレポートを作成している越智さんと、「越智さん、片眉をそり落としたほうがいいよね。」というような感じで、会話の内容が昨日よりさらに怪しくなり、私の発表もさらに怪しくなっていました。
そしていざ発表。何度発表しても緊張はするものだと感じました。心臓バクバクで今でも何を話したかを覚えていない始末。しかし質問だけは忘れてはならぬと、メモをその場でとりつつ質疑応答。この瞬間だけは、二日酔いだろうが三日酔いだろうが頭を冴えさせなければ。…と言いつつも、反省点の残る返答。未熟さを噛みしめる結果となりました。
とはいえ無事にセッションが全て終了。準備期間を含めれば非常に長く関わってきた会だけに、今までのどの会よりも感慨に浸っていました。
最後にベストプレゼンテーション賞の発表。思えば2年前、まだ博士に進むか悩んでいる時、この賞と、そこで出会った友人に勇気づけられたのを今でも鮮明に覚えています。
そして今回の会でも、また勇気づけられる結果となりました。そうです、博士2年でもまた授賞させて頂きました。嬉しい事に、片眉をそり落とすかどうか話した越智さんも一緒です。そして何よりうれしいのが、4年生の後輩の西村さんが受賞した事。頑張りを見ているだけに、こっそり感動。
(ちなみに、西村さんの発表中にギュッとくまモンタオルをにぎりしめる井手上先生は、なんだかお父さんみたいでした。そちらにもひっそり感動。)
という事で、全員一丸となってお世話したミーティング。途中で怪しくなりながら、私もなんとかやり遂げる事ができました。
今回の会で得たものは、知識だけではありません。人との繋がりという素晴らしいものをまた得ることができました。これが、今の私の土俵際の綱の厚みとなり、最後の最後で踏ん張れています。こんな茶髪ロンゲの馬の骨にお付き合いいただき、ありがとうございました。
(ちなみに、これを書いている現在は黒髪短髪ですよ)
(ちなみに、これを書いている現在は黒髪短髪ですよ)
最後まで読んでくださってありがとうございます。
そして、会に参加された皆様方。本当にありがとうございました。
また、次の学会で是非、一緒に朝まで話させて下さい。
黒木 優太郎
ミーティングレポート ~秋光研M1越智晴香の旅~
1日目
初めての学会、初めてのソラシドエアー!期待と不安で胸がいっぱい!大雨の中いざ出発!そして到着!
うーん熊本は思っていた以上に栄えている。東京とあまりかわらない…?
熊本らしさ、九州らしさはどこに?…そうだ!ラーメンを食べよう\(^o^)/
これが熊本ラーメンなのか博多ラーメンなのかはわかりませんでしたが、とりあえず麺が細い!東京で太麺ばかり食べていた私にとって、新感覚ではありましたが…うーん…美味(*^_^*)おなかいっぱい夢いっぱいで、
いざフロンティアミーティングへ!!
まず圧倒されたのがRNAシャツ!てっきり受付でRNAシャツを貰えると思っていたら、熊大のスタッフの方々が着ているものと判明!残念…((+_+))これに関しては後にうれしいことがおこるのですが…
同世代の方々の発表と、中川先生、谷先生の特別講演を聞き、モチベーションは最高潮に!!!
いざ明日の自分の発表へ!!!!
と、ちょっとその前に、、、(^^♪
自由交流会Ⅰ。明日があるので控え目に参加させていただきました。酒飲んでいる場合ではありませんよ!練習練習!
2日目
き…緊張しましたぁ((+_+))私の発表は無事終わったのでしょうか?というのが本音です。つたない発表にも関わらず、沢山のご質問、アドバイスありがとうございました。また、コーヒーブレイクや交流会でも、貴重なご意見をいただくことができ、今後の実験が今から楽しみで仕方ありません!!ピペットマンピペットマン!
午後は待ちに待った熊本観光(@^^)/~~~
熊本城、そして水前寺公園。熊本を満喫してまいりました!
熊本の殿と姫は大変面白い方でした!ははぁ<(_ _)>
そして、自由交流会Ⅱ。いやー楽しかった!沢山の方々とお話することができ、また先生方とも研究のお話だけではなく、私生活に関する本当に本当に本当に貴重なアドバイス(@_@;)、ご意見を承ることができ、今後の人生に活かしていけたらと思います。
楽しんでいたランキングをつけるとすれば、優勝は秋光先生に譲るとして(゜-゜)
3位入賞は果たせたのではないかなと!
井出上先生、3時まで飲み会の場を提供していただき、本当にありがとうございました!!
3日目
眠い目をこすりながら、最後の力を振り絞ります。
そして、表彰式。私は寝ぼけているのか(?_?)耳を疑うとはまさにこのことでしょうか。
未だに、でてくる言葉といえば「えっと…お…驚いています!」これに尽きます(>_<)
さらに、他の2名の受賞者の方が、熊大生ということで、3人分の副賞を全ていただくことに!くまもんグッズに、RNAシャツ!これは嬉しい(;_;)ラボ旅行に持っていかなければ♡
今年の運を全て使いきってしまったのではないかと、不安になりそうです…
ベストプレゼンテーション賞。この賞に恥じないよう、これからも日々精進してまいりたいと思います!!
このような素晴らしい機会を作ってくださった熊大の皆さま、貴重なご意見を下さった先生方、そして声をかけて下さった他大学の学生の皆さま、ありがとうございました。
この充実したフロンティアミーティング3日間で得た貴重な体験を、今後の研究生活に活かしていきたいと思います。
最後に、素晴らしい環境、素晴らしい先生と先輩方そして、同期、後輩に恵まれたことに感謝致します。ありがとうございました。
東京大学秋光研究室修士1年
越智晴香
September 26, 2012
ミーティングレポート
はじめまして、東京大学アイソトープ総合センター秋光研究室のM1今町です。
ベストプレゼン賞を取ったわけではありませんが、皆さんに便乗して私もミーティングレポートを書いてみました。
今年は熊本でRNAフロンティアミーティングが行われると聞いたときは、「さぞかし暑いのだろうなぁ」と想像していましたが、予想と反して当日の熊本は快適な気候でした。(むしろ東京のほうが暑いぐらいだったと思います…。)
口頭発表は他の多くのM1の大学院生の方と同様に、私もRNAフロンティアミーティングでの発表が初めてで、2日目が発表日だった私は、緊張のあまり前日から気が気ではありませんでした。
また、ベストプレゼン賞を取った方を始め、堂々とした大学院生の発表が初日から相次ぎ、それを半分プレッシャーに感じながらも、私も同学年の学生に負けられないという思いで発表には望みました。
ラボ内での発表とは異なり、当日、多くの研究者・大学院生の前での発表はとても緊張しましたが、様々な方から意見を聞くことができ、とても有意義でした。
その一方で、周りが優秀な研究者・大学院生と感じてしまうと萎縮してしまい、うまく質問の受け答えができなかったことや、今回ミーティングの最中に1度も質問ができなかったことが心残りでもありました。
3日間、同学年の大学院生との交流を通してお互いの研究内容について話すことで、お互い良い刺激を受けたことも収穫だったと思います。
次回このような発表の機会がある折にもっと良い発表ができるように、研究を頑張りたいと思います。
最後に、このような発表の機会を与えて下さった秋光先生と、今回RNAフロンティアミーティングの開催に携わったすべての方々に感謝したいと思います。ありがとうございました。
東京大学アイソトープ総合センター秋光研究室
M1 今町直登
ミーティングレポート
初めまして、東京大学秋光研究室所属修士1年の切替と申します。
自分はベストプレゼンテーション賞をとってはいないのですが、 秋光先生の強いススメにより
僭越ながらミーティングレポートを書かせていただきたいと思いま す。
自分は今まで口頭での学会発表は経験がなく、 今回が人生初の口頭発表の現場となりました。
自分の発表は3日目だったので、 それまでは他の人の発表の技術や知識を少しでも吸収しよう
という姿勢で臨んでいました。ところが、 想像をはるかに超えた素晴らしいプレゼンテーションを
目の前で行われ、 自分がここにいていいのかという緊張に苦しみました。 緊張のしすぎで、ホテ
ルで給仕していただいた豪華な食事の味がほとんどわからなかった ほどです。
そんな精神状態の最中、 迫り来る某准教授の周囲への過剰広告によるプレッシャー。
鼓舞するつもりなのか和ませるつもりなのか、 はたまた本当に自信があったのかは定かではない
ですが、 そのときの自分には毒物以外の何物でもなかったのを鮮明に覚えて おります。
しかし、 実際に発表を終わらせてみると勉強になるご意見やご質問を頂けて 、凝り固まった思考が
解されたのを感じました。同時に、 これやあれをやってみたいという気持ちにもなり、精神面で得た
ものも非常に大きいものでした。
このような素晴らしいミーティングに参加し、様々な人と出会え、 たくさんの勉強をさせていただけ
て本当に嬉しく思います。
最後になりますが、 この場を借りて今回フロンティアミーティングで関わっていただい た全ての方
にお礼と、 準備や案内をしていただいた方々に更なる感謝を表したいと思いま す。
本当にありがとうございました。ぜひ、 これからもよろしくお願い致します。
東京大学秋光研究室修士1年
切替 祥鷹
ミーティングレポート
初めまして、熊本大学谷研究室所属の4年の西村と申します。
先日、熊本にて開催されましたRNAフロンティアミーティングにてベストプレゼン賞を頂いたので、つたない文章ですが、会の感想をミーティングレポートとしてご報告したいと思います。
個人的には、今回のフロンティアミーティングが初の学会参加で、もちろん発表も初めてと初めてづくしでした。発表すると決まったのはフロンティアミーティングのちょうど一か月前。院試が終わった直後の私に「発表してみない?」と先生。正直、研究を始めて半年程度のまだまだ未熟過ぎる私が、RNA関連の研究をされている方々ばかりが参加される学会で発表なんかしようものなら…、さらに口頭発表(!?)…と発表直前まで不安しかありませんでした。
しかし、終わった今となっては、発表することができ、本当によかったと思っています。
自分の研究について、先生方から貴重な意見・アドバイスを頂くことができましたし、他大学の方々にも懇親会などで声をかけて頂き、人見知り(見えないと言われますが)の私としては、発表したことが、相手に最初のドアを叩いてもらうきっかけになったのでありがたい限りでした。さらには、4年だからと先生方が優しく寛容に見てくださった上でのことと思いますが、賞まで頂き、私にとって非常に実りの多い会となりました。
発表できたことだけでなく、様々な研究についてお話を聞けたことでRNAの世界の広さを改めて知り、面白い研究に良い刺激を受けました。また、そのような面白い研究をされている方々と研究についてはもちろん様々な話をし、一緒に3日間を過ごすことができ、この会に参加してよかったと心から思います。
一番印象に残っているのは、やはり中川先生と谷先生の講演。
敷居を低くして話をしてくださった中川先生の人との関わりの中での研究のお話、普段の研究室ではなかなか聞くことのない谷先生の昔の研究のお話。どちらのお話も先生方の好奇心に感動するとともに、今の自分、これからの自分について改めて考えるきっかけとなりました。
感じたことをうまく文章で表せないのが悔しいのですが、今まで知らなかったことを新しく知ることができ、自分自身の研究に対する姿勢に疑問を投げかけ、さらに研究を頑張って行こうと思えた非常に濃い3日間でした。
最後に、フロンティアミーティングでお話しをしてくださった先生方、一緒に熊本観光や雑談をしてくださった他大学の皆さん、大変充実した3日間をありがとうございました。また、どこかでお会いした時には、ぜひ声をかけてください。
中川先生のように素敵な文章が書ければよかったのですが、どうもうまくいかないので、下っ端の私はこの程度で、あとはベストプレゼンを受賞した先輩方2名にお任せしたいと思います。
写真は1日目のセッション終了後の集合写真。会の雰囲気が少しでも伝わるかと…
熊大谷研4年 西村佳菜子
September 21, 2012
RNAフロンティアミーティング2012
RNA若手の会(RNAフロンティアミーティング)が開催されました。今回の世話人は熊本大学の谷研の井出上さん。会場は、今夏、大雨で堤防が決壊寸前まで行って自衛隊まで出動した熊本市内は白川のほとりのホテル、レオパレスメルパルク熊本。井出上さんの指揮の下一糸乱れぬ統率のとれた谷研のスタッフの学生さんによる見事な運営。いつもながらに繰り広げられる活発なディスカッションとコミュニケーション。徹夜をものともせぬ若い人々(とnearlyおっさんの人々)のパワーに改めて感心させられるとともに、核内構造研究の大先輩、谷さんの研究ヒストリーの格調高い話もじっくりと伺う事が出来て、個人的には大変有意義な3日間を過ごす事が出来ました。この会は本新学術領域も共催だったことですし、最優秀プレゼンテーション賞を取った3人の学生さんに、改めて詳しくミーティングレポートをこのブログにアップロードしていただく予定です。
この若手の会、「フロンティアミーティング」のGod Fatherは神戸大学の井上さんです。「『若手の会』だと参加費を申請しても事務の人がお金を出してくれないんですよー。」とかいう、全くもって不条理なbureaucraticな対応に悩んでいる、という声がチラホラ聞かれ、それはいかん、実態を反映したネーミングはないものかと、若手の会の創始者井上さんがつけてくださったのがこの名称。5年目を経て、だいぶん定着してきたような気がします。
この会に参加していつも思うのは、そこんじょこらの下手な学会よりはレベルも高く内容も面白い、ということです。発表者の多くはM1とかM2とかなので一歩間違えば、ぼくたちわたしたち、発表してみましたー、のような学芸会になってしまう危うさもなきにしもあらずだと思うのですが、少なくともこれまでそのようなナメた発表に出会った事はありません。むしろ、え?このひと4回生???とか、この堂々たる不遜な態度はポスドクかと思ったらまだ修士の学生さん???という驚きの方が多い。昔、清原と桑田を擁していたPL学園と(当時はダメダメだった)阪神が戦ったらプロが負けるんちゃうか、なんていう話がありましたが、分子生物学会のヘタクソな(準備不足な)PIの発表よりもよっぽど面白いトークがずらり、というのはすごい事だと思います。たまに落球やトンネルなどのエラーもありますが、それは愛嬌。
研究は、多くの場合、はじめのところが一番ワクワクしますし、ちょっと謎が残っているぐらいのほうが想像力が掻き立てられて気分的には高揚するものです。論文にしても、投稿当初、第一稿が一番ピカピカしているのに、レビューアの要求する追加実験を繰り返していくうちにだらだら冗長になっていき、最後はeditorialな字数制限でごそっと、削らされてボロボロになる、という、サルになってしまったキリストのフレスコ画のような変遷をたどる事も少なくありません。ただ、その一方で、きちんと仕事を完成させるためには膨大な努力を必要とする地道な検証を粘り強く積み重ねてゆく事が必要であるというのもまた事実で、最初の興奮をまとめる事にばかり目がいって一見するとアホらしい検証を怠ってしまうと、思わぬところで足下をすくわれてしまうものです。
ともあれ、研究の面白さというのは出会って最初の頃のときめき、そこにあるのは間違いありません。キラキラと目を輝かせている若い人に負けないようにプロの意地を見せなければ。
中川
September 9, 2012
これじゃいかんでしょうーlncRNAの苦悩ー
領域代表のコメント、まさに正鵠をえた言でありまして、長鎖ノンコーディングRNA研究の現状と問題点はまさにそこにあると思います。すなわち、
1)既に発表されている様々な生化学的なアッセイはstoichiometryの観点から見て正しい条件でなされているのか。
2)そもそも長鎖ノンコーディングRNAの機能を見るための生化学的なアッセイというものが存在するのか。
1)に関してはオープンな議論がいつしか必要になると思います。昔から免疫沈降は念力沈降とも呼ばれておりまして、どんなタンパク質でも条件さえそろえば結合するわけです。ですから、たとえば酵母のtwo-hybridで網羅的に拾われてくる結合因子が本当に生理的に意味のあるものであるのかどうか、とう点については、様々な角度からの検証がなされてはじめて受け入れられるというのが常識だと思います。矢継ぎ早に追加実験を要求してくるレビューアーも、意地悪が楽しくてやっている訳では、いや、ちょっぴりそういう邪悪な気持ちもあるのかもしれませんが、やはり学問を守りたくてそういうコメントを要求してくるのでしょう。現在、長鎖ノンコーディングRNAに「結合している」と言われている多くのクロマチン修飾因子。これ、ほとんど、既に有名な因子ばっかりです。野球選手で言えばFA選手。既に十分に名が売れた、ストーリとしてありそうな因子をつれてきて、はい、くっつきましたと。逆に、新規の因子がとれてきて、その機能をよくよく調べてみたらクロマチン修飾活性があった、などという話は今までにいちども聞いた事ありません。敢えて例を挙げるとするのならばSmchd1とXistの関係でしょうか。これも、生化学的にとれてきた、というよりは遺伝学的にとれてきた因子です。抗体染色にせよ、DNAをちぎったりはったりのコンストラクト作りにせよ、免疫沈降の実験にしても、多くの反応は「4℃オーバーナイト」で作業を止めておく事が出来ます。つまり、各ステップはとことんまで反応を進めたところで次ぎに行くと。これを僕は「saturation反応」の実験と言っているのですが、分子生物学的なデータのほとんどが、その作業の積み重ねで出てくる。そこにはstoichiometryの観点はちっともない。少々突っ込んだ言い方をすれば、「saturation反応」の実験に骨までどっぷりと浸かった発生屋や遺伝屋やスーパードライな人々が、反応速度なり濃度なりが重要な因子となる生化学的なデータを出してくる場合、専門家による慎重な検証がいるのではないかと。あ、ちなみにこういう事をかいている僕自身は、濃縮還元100%「saturation反応」型の実験屋です。
2)に関してですが、長鎖のノンコーディングRNAの多くはco-transcriptionalに働くという印象があります。核内ボディを形成するNeat1についても、自己組織的に構造体が出来るのか、それとも転写とともに構成因子が組み立てられて段階的に作られるのか、ということであれば、後者である、というコンセンサスが業界では出来上がっています。そうなると、いわゆる、基質を用意して、ライセートと混ぜて、、、という古典的な「生化学」の実験とは本質的になじまない、という可能性はあると思います。しかしながら、「なじまないからやらない」、なんて泣き言ばかり言っていては学問は止まってしまいますから、多分我々がやらなければいけない事は、きちんと新しいアッセイ系を組み立てる事なのだと思います。そもそも、どんな「古典的な」生化学にしても、いろいろなレべルで地道に新しいアッセイ系が組み立てられてきたからこそ、発展を遂げてきたのだと思います。長鎖ノンコーディングRNAの機能をきちんと試験管の中で見える形にする。ちょっと本気で取り組みましょう。というか、本気で取り組みます。はい。長鎖ノンコーディングRNAの機能解析には遺伝学的アプローチが最強であるという常識を変える事が出来れば、世の中がほんの少し変わるかもしれません(それはないか)。いずれにせよ、小分子RNAでうまくいったやり方を長鎖ノンコーディングRNAに適用するだけでは、いつまでたってもそこを越えられません。常識を疑う事で可能性は大きく広がるはずですので、ちょっと非常識な実験を組んでみましょうか。
中川
1)既に発表されている様々な生化学的なアッセイはstoichiometryの観点から見て正しい条件でなされているのか。
2)そもそも長鎖ノンコーディングRNAの機能を見るための生化学的なアッセイというものが存在するのか。
1)に関してはオープンな議論がいつしか必要になると思います。昔から免疫沈降は念力沈降とも呼ばれておりまして、どんなタンパク質でも条件さえそろえば結合するわけです。ですから、たとえば酵母のtwo-hybridで網羅的に拾われてくる結合因子が本当に生理的に意味のあるものであるのかどうか、とう点については、様々な角度からの検証がなされてはじめて受け入れられるというのが常識だと思います。矢継ぎ早に追加実験を要求してくるレビューアーも、意地悪が楽しくてやっている訳では、いや、ちょっぴりそういう邪悪な気持ちもあるのかもしれませんが、やはり学問を守りたくてそういうコメントを要求してくるのでしょう。現在、長鎖ノンコーディングRNAに「結合している」と言われている多くのクロマチン修飾因子。これ、ほとんど、既に有名な因子ばっかりです。野球選手で言えばFA選手。既に十分に名が売れた、ストーリとしてありそうな因子をつれてきて、はい、くっつきましたと。逆に、新規の因子がとれてきて、その機能をよくよく調べてみたらクロマチン修飾活性があった、などという話は今までにいちども聞いた事ありません。敢えて例を挙げるとするのならばSmchd1とXistの関係でしょうか。これも、生化学的にとれてきた、というよりは遺伝学的にとれてきた因子です。抗体染色にせよ、DNAをちぎったりはったりのコンストラクト作りにせよ、免疫沈降の実験にしても、多くの反応は「4℃オーバーナイト」で作業を止めておく事が出来ます。つまり、各ステップはとことんまで反応を進めたところで次ぎに行くと。これを僕は「saturation反応」の実験と言っているのですが、分子生物学的なデータのほとんどが、その作業の積み重ねで出てくる。そこにはstoichiometryの観点はちっともない。少々突っ込んだ言い方をすれば、「saturation反応」の実験に骨までどっぷりと浸かった発生屋や遺伝屋やスーパードライな人々が、反応速度なり濃度なりが重要な因子となる生化学的なデータを出してくる場合、専門家による慎重な検証がいるのではないかと。あ、ちなみにこういう事をかいている僕自身は、濃縮還元100%「saturation反応」型の実験屋です。
2)に関してですが、長鎖のノンコーディングRNAの多くはco-transcriptionalに働くという印象があります。核内ボディを形成するNeat1についても、自己組織的に構造体が出来るのか、それとも転写とともに構成因子が組み立てられて段階的に作られるのか、ということであれば、後者である、というコンセンサスが業界では出来上がっています。そうなると、いわゆる、基質を用意して、ライセートと混ぜて、、、という古典的な「生化学」の実験とは本質的になじまない、という可能性はあると思います。しかしながら、「なじまないからやらない」、なんて泣き言ばかり言っていては学問は止まってしまいますから、多分我々がやらなければいけない事は、きちんと新しいアッセイ系を組み立てる事なのだと思います。そもそも、どんな「古典的な」生化学にしても、いろいろなレべルで地道に新しいアッセイ系が組み立てられてきたからこそ、発展を遂げてきたのだと思います。長鎖ノンコーディングRNAの機能をきちんと試験管の中で見える形にする。ちょっと本気で取り組みましょう。というか、本気で取り組みます。はい。長鎖ノンコーディングRNAの機能解析には遺伝学的アプローチが最強であるという常識を変える事が出来れば、世の中がほんの少し変わるかもしれません(それはないか)。いずれにせよ、小分子RNAでうまくいったやり方を長鎖ノンコーディングRNAに適用するだけでは、いつまでたってもそこを越えられません。常識を疑う事で可能性は大きく広がるはずですので、ちょっと非常識な実験を組んでみましょうか。
中川
September 5, 2012
これで良いのだ?
皆さま、領域会議お疲れ様でした。世話役を務めて下さった佐渡さん、そして佐渡研の方々、本当にどうもありがとうございました。
今回の領域会議は、公募研究がずいぶんと入れ替わったこともあり、新鮮で興味深い研究発表が多く、個人的にも大変楽ませて頂きました。芳本さんも書いてくれているとおり、研究内容が多岐にわたり、領域としての幅がぐんと広がったように思います。一方で、それらの研究を「新学術領域」という枠組みで行う意義、つまり、それぞれの研究者の強みを、どうやって領域全体で共有し、活用していくか、ということについてはさらに模索する余地がある様に思いました。例えば、中川さんが(芳本さんの書き込みのコメントの中で)書いてくれているとおり、高分子非コードRNAの研究を、生理機能の解明を行う段階から、作用マシナリーの解析を行える段階にもっていくためには、どうすれば良いのかという点が挙げられると思います。これは、今回の総括班会議の時も話題になりました。
当領域発足時の資料を引っ張り出して見てみると、【真核生物には、数千から数万の莫大な数の高分子非コードRNAが存在し、その多くはこのように組織あるいは発生段階特異的に発現しています。しかし、そのサイズや塩基配列には共通の特徴が見られず、個々の作用マシナリーも多様であると考えられます。これは、共通のエフェクター複合体を持つ小分子RNAとは大きく異なる点です。よって、多様な高分子非コードRNA作用マシナリーの理解を進めるためには、遺伝学的なアプローチを用いて個々の高分子非コードRNAの生理機能を詳細に解析し、その分子機能を予測することが不可欠です。】とあります。今読んでもとても良く書かれた(笑)文章で、「共通のマシナリーが存在しないので、個々の生理機能の解析をしっかりやらないことには、先に進めないのだ」つまり「今はこれで良いのだ」ということですね。まさにそれはその通りで、今は幅広い生理機能に関わる高分子非コードRNAの遺伝学的な解析をしっかりと行う時なのだと思います。一方で、それらが進んだ時にマシナリー解析にすぐ取りかかれるような準備を、すでに生理機能解析がある程度進んだものをモデルとして、(理想的には小分子RNA研究で培われた知見や技術を活用して)進めておくと言うことが非常に重要なのも確かです。
しかし言うは易しで、実際に例えば、XistとPRC2(の各因子)の結合を見る、というようなシンプルなことでさえ、過去に発表されている論文では、定量的に無茶苦茶な条件でやっていたり、論文によってRNAに結合すると結論づけられている因子が違っていたり、なかなか難しいものらしいという印象を受けています。小分子RNAの研究が、粗抽出液を使ったin vitro系の開発によって急速に進んできたように、高分子非コードRNAについても、何かほんの一部でも良いので、生体内で起こっていることをin vitroで再現できるような系ができれば、それがブレークスルーになるのは多分間違いないと思うのですが、
1. そもそも何の反応を見れば良いのか?
2. そもそも粗抽出液で進む反応なのか? (クロマチンという特殊な足場となる環境が無いと進まないような反応なのではないか? もしそうだとすると、その様な環境をどうやって作ってやればよいのか?)
という2つの「そもそも問題」が、小分子RNAの場合と比べてはるかに敷居を高くしている原因なのでは無いかと思います。僕は専門家では無いのですが、このあたり、実際にやっている方々の感覚はどうなのでしょう? (と、ひとしきり書いて、まとめきれずに誰か[たぶん中川さん]にふってみます)
東大・分生研 泊
今回の領域会議は、公募研究がずいぶんと入れ替わったこともあり、新鮮で興味深い研究発表が多く、個人的にも大変楽ませて頂きました。芳本さんも書いてくれているとおり、研究内容が多岐にわたり、領域としての幅がぐんと広がったように思います。一方で、それらの研究を「新学術領域」という枠組みで行う意義、つまり、それぞれの研究者の強みを、どうやって領域全体で共有し、活用していくか、ということについてはさらに模索する余地がある様に思いました。例えば、中川さんが(芳本さんの書き込みのコメントの中で)書いてくれているとおり、高分子非コードRNAの研究を、生理機能の解明を行う段階から、作用マシナリーの解析を行える段階にもっていくためには、どうすれば良いのかという点が挙げられると思います。これは、今回の総括班会議の時も話題になりました。
当領域発足時の資料を引っ張り出して見てみると、【真核生物には、数千から数万の莫大な数の高分子非コードRNAが存在し、その多くはこのように組織あるいは発生段階特異的に発現しています。しかし、そのサイズや塩基配列には共通の特徴が見られず、個々の作用マシナリーも多様であると考えられます。これは、共通のエフェクター複合体を持つ小分子RNAとは大きく異なる点です。よって、多様な高分子非コードRNA作用マシナリーの理解を進めるためには、遺伝学的なアプローチを用いて個々の高分子非コードRNAの生理機能を詳細に解析し、その分子機能を予測することが不可欠です。】とあります。今読んでもとても良く書かれた(笑)文章で、「共通のマシナリーが存在しないので、個々の生理機能の解析をしっかりやらないことには、先に進めないのだ」つまり「今はこれで良いのだ」ということですね。まさにそれはその通りで、今は幅広い生理機能に関わる高分子非コードRNAの遺伝学的な解析をしっかりと行う時なのだと思います。一方で、それらが進んだ時にマシナリー解析にすぐ取りかかれるような準備を、すでに生理機能解析がある程度進んだものをモデルとして、(理想的には小分子RNA研究で培われた知見や技術を活用して)進めておくと言うことが非常に重要なのも確かです。
しかし言うは易しで、実際に例えば、XistとPRC2(の各因子)の結合を見る、というようなシンプルなことでさえ、過去に発表されている論文では、定量的に無茶苦茶な条件でやっていたり、論文によってRNAに結合すると結論づけられている因子が違っていたり、なかなか難しいものらしいという印象を受けています。小分子RNAの研究が、粗抽出液を使ったin vitro系の開発によって急速に進んできたように、高分子非コードRNAについても、何かほんの一部でも良いので、生体内で起こっていることをin vitroで再現できるような系ができれば、それがブレークスルーになるのは多分間違いないと思うのですが、
1. そもそも何の反応を見れば良いのか?
2. そもそも粗抽出液で進む反応なのか? (クロマチンという特殊な足場となる環境が無いと進まないような反応なのではないか? もしそうだとすると、その様な環境をどうやって作ってやればよいのか?)
という2つの「そもそも問題」が、小分子RNAの場合と比べてはるかに敷居を高くしている原因なのでは無いかと思います。僕は専門家では無いのですが、このあたり、実際にやっている方々の感覚はどうなのでしょう? (と、ひとしきり書いて、まとめきれずに誰か[たぶん中川さん]にふってみます)
東大・分生研 泊
September 2, 2012
報告記-領域会議に参加しました!
はじめまして、理研吉田研でポスドクをやっております芳本と申します。8月におこなわれた領域会議に中川先生の好意で参加させていただきました。7月のRNA学会から一転、涼しい東北の次は暑い九州へと、日本も広いなと実感します。
2日間に渡る領域会議にフルに参加した感想は「非コードRNAの研究広いぞ!」。試験管内の系を用いた(美しい)生化学的な解析をはじめとして、ノックアウト生物を用いた遺伝学、イメージング、そして化学的なアプローチを積極的に取り入たものと、RNA研究の一分野としては現在最も多様性に富んでいるのではないでしょうか。もはや領域という言葉で括っていいのかよくわからないくらいですがとにかく僕にはいい刺激になりました。
また学会と違い、完成された話だけではなく、これからすごいことが起きますよ~とか、こうこうしたら実験がうまくいきました!とかそういった生々しい話を聞けたことも、今後僕の血となり肉となるという意味で美味しかったです。今は只々、ありがとうございましたとお礼を言うばかりです。
最後に、今回の班会議の運営に携わった佐渡先生、および学生の方々本当にお疲れ様でした。また機会があったら是非参加させてください!
August 29, 2012
はじめてのはんかいぎ
はじめまして。今回の領域会議担当である佐渡グループのM2中島達郎です。会議スタッフ、しかも下っ端なのに、ちょっと目立っちゃおうかなと思い、一日目はオレンジのポロシャツを着ていったところ、完全に浮いてしまいました・・・。でかくて黒くてオレンジな人を見かけられた方、それが中島です。
会議の様子を写真に収めるカメラマン担当となりましたが、普段から写真を撮るようなこともないので、慣れないデジカメであたふた。ぶれてたりぼやけてたりで写真のクオリティについては申し訳ないところもありますが、数枚は良い瞬間を捉えられたのではないかと思っております。是非ウェブサイトでご覧下さい。
ncRNAの班会議への参加は初めてで、会議が始まる前にみなさんが仲間同士で近況報告をし合っておられる中、「あ、この先生の名前見たことある」「あ、このポスターの単語見たことある」程度のことしかわからず、写真を撮るフリをしてふらふらしていました。あ、フリだけじゃなくちゃんと撮ってました!
佐渡グループはX染色体不活性化をテーマにしているので、long
non-coding RNAであるXistについてはfamiliarなのですが、日頃の不勉強が祟ってsmall RNAの話題になるとついて行けず、ほとんどの発表でただ単語をメモする程度しか情報を取り入れられませんでした・・・。
piRNAの話はラボミーティングなどでそれなりに頻繁に聞くのですが、毎回よくわからず次回聞く頃には知識がリセットされてまたはじめから、という壊れたゲームのセーブデータのようでした。今回のポスター発表でもping-pong cycleの図を見つけ、学生同士で「この辺の話、いつもよくわかんないよねー」と話していたところ、ポスター発表の方が懇切丁寧に基礎的なところから教えて下さって、おかげで「二日目のpiRNAの発表がちょっとわかった気がした!」と一緒に喜んでました。こういう風に少しずつでも知識がついていけば、あとは野となれ山となれ・・・じゃなくて、塵も積もれば山となる、ということになるので、日々の積み重ねって大事だなぁと思いました。もっと実験も勉強も気合い入れて精進せねば。
そこそこにしかインプットできなかった上に、ポスターセッションの時間には他のポスターを聞きに行っていて自分のポスターの前には一瞬も立たないという暴挙に出たためアウトプットも全くしないという、何しに来たんだと言われても『何も言えねー』のですが、少なくとも「名前は聞いたことあったけど、この人があの人だったんだ!」というのだけでも自分にとっては収穫だったと思います。
ただ、もっといろんな方々と話をしなかったのは毎度のことながら勿体ないところです。昔思い描いていた研究者のイメージは一人黙々と実験と考察を繰り返すというものだったのですが、今になって研究者はコミュニケーションとコネクションが大事な仕事だと感じています。人見知りにはツライところでもあり、知識が乏しいと会話が成り立たないのではないかと躊躇してしまいますが、一度話すだけでも世界を大きく広げることになると思うので、アウトプット力を上げるためにも話しかけに行くことを心がけます。・・・いや、今までも心がけてはいるんですけど、直前で勇気が・・・。佐渡さん、飲み会に行きましょう!
班会議 2012 08 21-22
こんにちは、佐渡さんのもとで去年の11月からお世話になっていて、今年度は卒業研究に励んでいます「とさか」こと千木です。よろしくお願いします。
今回はじめて班会議に参加させていただきました、というより佐渡さんが世話役ということで、お手伝いさせていただきました。
1日目
会場設営をして、講演する方からパソコンを受け取り接続、ラボで実験した時はうまくいったにも関わらずいきなりパソコンが動作しない。なんとか動くようになって班会議開始。講演者の真横の特等席でアツい発表が聞けました。
続いてポスターセッション、自分はポスターを出していなかったので「ポスター出したかったなあ、もっと実験してデータ出さなきゃなあ」とか思いながら聞いていました。また、勉強不足でなかなか理解するのが大変でした。
懇親会ではとにかくいろいろな人に話を聞こうと思ってお酒で上がったコミュニケーション能力を利用して絡みに行きました。その後の3次会にも連れて行ってもらいましたが(お酒が好きなので)、非常にいい機会であったと感じました。
2日目
1日目の反省を生かしてパソコンを完璧に接続、あいも変わらず特等席で講演を聞きました。
お昼に外出した際に、ある方にラーメン屋を聞かれて教えたのですが、その方たちは1日目に(東京の表参道にもある!) 某チェーン店に行かれていたらしいのです。福岡にせっかく来てくれたにもかかわらずそういう (声のでかい) ところをチョイスさせてしまったのは反省点でした。こちらも勉強不足だったのでいつかラーメン屋めぐりでもしようかと思いました。
講演を聞くと非常にワクワクします。と、同時に実験のやる気にもつながって来る気がします。次回はポスター発表ができるくらい実験をたくさんしようと思います。
準備の手伝いのなかで参加者名簿が改定になった際、KO大のO先生が来られないことになって非常に残念でした。浪人生だった当時、2008年のタケダヤングフォーラムでO先生がiPS細胞の講演を行ったのを聞きに行ったことが、研究をしたいと思ったきっかけだったので、是非ともお会いしたかったのですが…(ちなみにその時配布されたボールペンは今でも大事に使っています)
次回の班会議が非常に楽しみです。
九大生医研
B4 千木 雄太
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