さて、お次は生一本の生化学屋、微生物化学研究所の藤原さんです。
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私は、この手の媒体が大嫌いである。
この文章を載せたあとはまず見ないと思う。ご意見ご感想は直接お伺いしますので電話してください。お互い目を見ないで行うコミュニケーションはまっぴらである。
盟友の(勝手にそう思っている)泊さん、中川さん御両名からの依頼なので断ることもできず、2年間透かしてきたが自己紹介がてら、いつも思っていることをたしなめます。
「研究って仕事なんかな?」ここでいう研究とは実験を行うことではない。前にもどこかで書いたことがあるけど未だに心の底からそう思っている。生計を立てる収入が別にあれば、土日で実験させてくれるところがあればいいのだが、一方で研究者番号をもらわないと科研費申請資格がなく、、、何を馬鹿なことを・・と思われることは確実だが、生業にすることになにか引っかかりを感じている
さて、私は徹底して仮説検証型のスタイルで研究を行っている。仮説を検証できたときの快感は爽快そのもので、自分なりに興味のある研究課題はあるが、正直いって別に「課題は何だってよい」と思っている。自身の philosophyのもと、自分がこれまで身につけたスタイルで仮説を立て、それを実験科学・特に(古典)生化学の手助けで検証できればとても幸せなのである。論文を読み、想像力を働かせ、いろんな清濁定かならぬ情報を抽出し、新たな実験系をたてるときは、わくわくする。感覚的には、目の前に出された数学の証明問題を片っ端から解いたとき自己満足に浸っているという感じ。生化学の技は一種独特の「業」があり、実験を試行錯誤して初めて身につくと考えている。そしてこの「業」はin vitroに取り出して行うほぼ全ての実験に適用できる。それは、生化学か特殊なものでなくlogicに基づく経験を経て体得できるからだと思う。何でもキットに頼る昨今の流れが気にくわない。よく教えてくれというヒトがいるが、教えることはできない。決して意地悪で教えることができないと言っているわけでなく、来て見てもらえばわかってもらえる。従って頼まれれば自分でやることになる。論文に著者として載せなくて謝辞で良いと言っているのにみなさん著者として扱ってくれ、ありがたいことだがこれが弊害を生むことにもなってきた。端から見れば何でも屋さん化してきたのである。。
最近指摘されることが、「何を求めて、研究生活を送っているのかが見えて来ない。」「若くても教授になる研究者は、既に夢をある程度固め、それが論文リストに表れている研究者である。」
どうやら私はほど遠いみたい。。
繰り返すが私は「課題は何でもいい」。知識が豊富で越えなければいけない命題は「翻訳」であるが好きであるかどうか尋ねられたら答えに窮する。自分の「業」で証明可能であるなら何でもよい。。。。
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藤原さんに質問するときは目を見てしましょう!
藤原さんほど何を求めて研究生活を送っているか傍目にはわかりやすいように思える研究者もそういないような気もしますが、、、
ReplyDelete「求道者」
勘違いしていたらすんません。
中川