January 28, 2012

lncRNAのパラドックス(2)

前回の続きです。それほど大げさなことを言っている訳ではないのに名前を付けるとなんかすごそうに聞こえる法則として「地層累重の法則」というのがあったことを、かつて地学を履修していたひとは覚えているかもしれません。なんのことはない、「上にある地層は下の地層よりも新しい」、という、小学生にでも分かりそうなこの法則。でもこの法則が正しいということを前提にしないと全ての仮説がひっくり返ってしまうぐらい、重要な法則なわけです。lncRNAのパラドックスはそこまですごくない法則です。マーフィーの法則ぐらいどうでもよい法則ですが、体感的には実に良く当てはまるこの事実。

「機能的なlncRNAは、ほとんど検出されない。」

もしくは、これを言い換えて、

「ものすごくたくさんあるlncRNAは、ほとんど機能していない。」

たくさんあるlncRNAしか研究していない僕の研究室にこの冷酷なパラドックスは重くのしかかってきて今にもつぶれんばかりではあるのですが、そう簡単につぶれてなるものかとあがいていれば遥か彼方に光明がみえてくるという話になるはずなので、その辺は乞うご期待なのですが、実際のところ、強烈にabundantなMalat1も、MENepsilon/betaも、Gomafuも、ノックアウトマウスは一見正常。一方、誌上を賑わしているncRNA群は、往々にして発現量が非常に低い。

少し前までは、こんな発現量が低いものが機能するはずがない、などとちょっぴり思わなくはなかったのですが、最近は、実はそうではなくて、機能があるからこそ、発現量を低く抑えなくてはならなかった、と考え始めています。つまり、あまりにもその個性が強烈であったがために、つぶされてしまう、出る杭は打たれる、のように、結果として発現量が押さえられているという可能性もあるのではないかと。

H19という遺伝子は、インプリンティング(父方か母方か、どちらか由来の染色体からしか発現しない遺伝子発現制御)を受ける遺伝子としてはもっとも早くに同定されたものですが、胚発生時においてはアホみたいに発現している遺伝子です。ところが、このノックアウトマウスも、表現型がいまいちはっきりしない。過剰発現の結果からはガンに関係ありそうだという論文も古くは出ていますが、結局のところ良くわからない。多分業界のコンセンサスとしては、あんまり機能していない、という遺伝子です。核内のMalat1、細胞質のH19。年棒5億円ぐらいもらってるのに、一試合も出場できなくて打点0、みたいなlncRNA遺伝子です。

発現量が低いからこそ、その個性を発揮できる。そういう発想があってもよいのではないかと。たとえば、酵素活性みたいなものを持っているのかもしれません。一分子でも多くの基質分子に作用できると。もしくは、ゲノムの特定の場所に貼り付いて機能していれば、ゲノムのその「場所」のモル数は高々2ですから、そんなに数がいらない、というもっともらしい説明は、確かに納得がいくものでもあります。制御をかけるためには安定であってはならない、という理屈も納得がいきます。

このパラドックス、実戦的にはかなり重要で、機能を最優先して考えるのであれば、絶対的な発現量よりも、ダイナミックに変化するか否かで付き合う遺伝子を、解析の対象とする遺伝子を選んだ方が良いのかもしれません。発現量は二の次と。

話は変わりますが、将棋の棋士の指し手の中には、負けると分かっていてもこの手をさしてしまう。前の指し手の顔を立てるためにもここは同歩。なんてことも良くあるようです。そこには理屈を超えた情熱が、といえば格好良いですが、要は好きか嫌いか、もしくは意地の張り合いみたいなところもあるのではないかと思います。サイエンスもなかなか理屈では片付かないところがあって、ダイナミックな発現変化を示すものにとことん注目するべきだとは思いつつも、じゃあこいつらの機能解析は誰がするのだ、と、なぜかアマノジャクに発現量が多い方に出してしまう。いわゆる深情けというのでしょうか、そういうスタイルも、あるような気がします。

だいぶ話が脱線してしまいましたが、ともあれ、モル数が少ないlncRNAがどうやって機能するのか。その画期的なアイデアが、今年、2012年には出てくるのではないかと。そう予想してみたいと思います。

中川

January 20, 2012

発生生物学とncRNA

発生生物学会の学会誌であるDevelopment Growth and Differentiationの、RNAの特集号が出ました。

発生生物学とRNA研究は相性が良いと個人的には思っているのですが、世間的にはそれは中田ヒデと原辰徳の組み合わせぐらい「はぁ?」という組み合わせのようで、別に仲は良くも悪くもないだろうけれどもあえて並べる必要性がサッパリ分からない、というように捉えられることが多いようです。実際のところ、発生生物学会とRNA学会の両方に属している人は少ない。実に少ない。五本の指で数えられる、などということは無いでしょうが、京大のA形さん、神大のI上さん、CDBのN村さん、発生学会ではないけれどもCDBに居るN山さん、、、あれっ、結構居るか。というか、キャラ立ちするひとばかりなのでたくさん居るように見えるだけなので、実際は少ない。せいぜい2、3%といったところではないでしょうか。生物学の研究には、ナノメートルスケールの結晶構造の解析からメートルスケールの比較解剖学まで、色々な階層があります。それぞれの階層の間にはそれなりに大きなギャップがあって、それをあえて埋めようとしなくても良いとも思うのですが、橋をかけてみたらなんだ意外と近いではないかと。そういう分野もあるような気がします。RNA研究と細胞生物学、RNA研究と発生生物学、あたりは、まさにそのような組み合わせではないでしょうか。

そしてこの特集号。DGD編集長の東北大の仲村春和さんとRNA学会長の塩見(春)さんの肝いりで実現した華麗なるコラボレーション、とまではいかないかもしれませんが、粒ぞろいのレビューが満載です。母性因子やpiRNAがらみで比較的RNA研究者にもなじみのある生殖細胞がらみの話や、だれもがあっとその美しさに声を上げあげたであろうテトラヒメナの大核小核の話、植物のサイレンシングの話にエピジェネティックスの話、当新学術のメンバーのムッキー中山さんとデレック後藤さんのレビューはfree articleで読めます。発生生物学会の学会員はタダで読めるので、図書館に無いときにはその辺に居る発生生物学会員にお声かけください。

このDGDなる雑誌。日本の発生生物学会が発行していた雑誌で、現在はBlackwellの方に組み込まれていますが、歴史的な経緯もあり投稿者のほとんどが日本人です。発生学会の人間にとって、でぃーじーでぃー、という言葉はなんとも微妙な、心のどこかがくすぐられる響きをもつ言葉であって、例えていうならば、片田舎の芋くさいねーちゃんが都会に出てビックリするほどきれいになって芸能界にスカウトされてとある映画の端役をきっかけに大きな注目を集めスターへの階段を上っていって今は押しも押されもされぬ大女優、その彼女が小学生だったときの初恋の相手、みたいな感じでしょうか。僕が大学院に入りたての時は季刊誌だったのが投稿数の増大に従い月刊誌になったは良いけれどもだんだん投稿数が先細りになって、なんだこれどこの業者のパンフレット?ぐらいに薄くなっていた頃、「DGDは生かすか殺すかせなあかん!」なんて過激なことをおっしゃる先輩方も居ましたが、現編集長の仲村さんのご尽力で、一時はインパクトファクターが1ぐらいまで落ち込んでいたのが、最近はようやっと2を超えてきたようです。と、こういう話を本当はあまりしたくないのですが、DGDのような国内の学会誌はインパクトファクターという物差しではかるのが一番ふさわしくないとは思うのですが、これだけ世の中がグローバル化されてくると、そういう基準が入ってくるのはある程度致し方ないことなのかもしれません。この辺りはまた何かの機会に考えてみたいと思っています。

ともあれ、このレビュー集。お時間のあるときにアブストラクトだけでもざっと目を通していただければ幸いです。

中川

January 15, 2012

lncRNAのパラドックス(1)

今はどうか知りませんが、僕がかつて籍を置いた大学では教養過程で誰もが必ず一つとるコマのひとつに論理学というのがありまして、それはおそらくその単位がいわゆる「楽勝」に分類されていたからというのが大きいのでしょうが、それ以上にこの論理学、という言葉の響きがちょうどアノ年頃の学部生の矜持を微妙にくすぐるものであったという要素も多分にあったような気がします。大学生協の本屋のやり手ジジイ、いや、店長はその辺りを良くわかっていて、まるで授業の進行に合わせるかのように折に応じて最新の、あるいは数年前の新書を平積みにだしてくる訳です。論理学というのは文系の科目に分類されていたような気がするのですが、内容はどう考えても数学だったような気がします。その辺り良く覚えていないのが情けないところですが、ともあれ、論理学の講義でさんざん出てきたパラドックス、という言葉に神秘的な、provocativeな響きを大いに感じ、一度はこういう言葉を使ってみたいなと思ってン十年。も経ってはいませんが、今現在、実際に仕事をしていてつくづく思うのが、

「lncRNAのパラドックス」

です。これはどういうパラドックスかといいますと、厳密にいえばパラドックスでも何でも無いのかもしれませんが、

「機能しているlncRNAは、ほとんど検出できない」

という、体感上の、ちょっと奇妙な事実です。

僕自身はこれまでlncRNAの機能を考える上で、タンパク質に翻訳されないのであれば、すなわち一本のmRNAが数百数千個のタンパク質として働きうるという増幅作用が無いのであれば、機能的なlncRNAはすべからく発現量が多いであろう、従って、発現量が多いものから機能解析をしてゆけばlncRNAが関わっている未知の生理現象を垣間みることができるのではないか、という単純な発想のもとチビチビKOマウスを作ってきたのですが、どうもこれが「一見」芳しくない。Gomafuに始まり、Malat1もNEAT1も、少なくとも胚発生過程には異常は見られませんし、大人の個体もぱっと見た感じは正常です。

しかるに、ばんばん、世の中にはlncRNAの重要な機能を見つけたという論文が出てくるわけです。特に、今世代シークエンサーやマイクロアレイを駆使した論文は、HOTAIRを嚆矢として、ここ数年、矢継ぎ早に、いわゆる色っぽい雑誌にお目見えしています。これははっきり言って悔しい。そして、つい最近発表されたCyranoですか。つい先日来日されたBartelさんのTokyo RNA Clubでの話を聞いた時は、悔しいを遥かに通り越して、もういいや、という諦めの境地でもあったのですが、常々どうしても納得がいかなかったのは、なんでこう誌上を賑わす遺伝子は、ほとんど発現していないものばかりなのか、ということです。細胞あたり一分子で機能している、なんて馬鹿げているではないか、と。

とはいえ、ふと思い出してみると、遥か昔学部の授業で使っていた、某ブログで有名なY先生が編集された生物物理学演習とかいう本の中には、転写因子(たしかlacオペロンがらみのなんちゃらだったとおもうので原核生物のですが)は一細胞あたり数分子しか無い、というモル計算の問題がものすごく最初の方に出てきていたような気がします。あまりにも難解な本で、というかちょっと時代がずれている本だったので最初の2、3ページの問題を見てすぐ挫折したのを覚えているので、極めて最初の方の問題であったのは間違いないです。なんか話が毎度のごとくそれてしまいましたが、重要な分子は、細胞に一個か二個あればよいのだと。特に、個々の遺伝子などというのは細胞あたり高々2分子しか無い訳ですから、その制御に関わるものは、別に少なくても構わないというのは、たしかに納得のいく議論です。

で、そのあたりどうなんでしょう、というのをBartelさんにぶつけてみたのですが、以前のレポートにもあったように、ちょっとしばらく間を置いて、首をひねって、慎重に言葉を選びながら、うん、たしかにCyranoは発現量は低いと。それはすごく気になるところだと。しかしそれはXXXX,,,

ここからさきは秘密でも何でも無い、いきなりペラペラしゃべりだしたのでただ単に英語力不足のために何を言ってるか分からなかっただけなのですが、Bartelさんほどの方でも、なにかしら、気になる所では、あったようです。

このパラドックス、どう考えたら良いのでしょう?(つづく)

中川

January 12, 2012

ポスドク募集のお知らせ

5th Tokyo RNA Club でも講演して下さった Jhumku Kohtz さんからポスドク募集の
お知らせが届いています。long ncRNA 分野ではピカイチの仕事をされている方です
ので、将来を託す研究室を決めかねている方は、ぜひとも御検討下さい。

以下、転送です。

影山裕二@神戸大

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Postdoctoral and Research Associate Positions funded by the National Institute of Mental Health are available to study mechanisms of long non-coding RNA transcriptional regulation of interneuron genes in developing and adult mouse brain. Studies will be performed at Children's Memorial Research Center & Northwestern University, Feinberg School of Medicine, Chicago, IL., USA. PhD and B.A. applicants who have expertise in biology, biochemistry, neuroscience, or chemistry will be considered. Starting dates are flexible, but ideally will be June 2012. Please send your CV, including contact information for two references to j-kohtz@northwestern.edu.

Relevant publications:
Feng et al. (2006) Genes and Development, 20:1470-1484.
News and Views, Lall, S. (2006) Nature Structural and Molecular Biology 13, 574.
Bond et al. (2009) Nature Neuroscience 12: 1020-1027.

Tokyo RNA club the 10th meeting

みなさま

遅ればせながら明けましておめでとうございます。

さて、少し先の話ですが、3月21日(水)にTokyo RNA club the 10th meetingを開くことになりました。ゲストはUT SouthwesternのQinghua Liu (ちんふぁー りう)さん、TRCには2回目の登場です。今回はいつもの慶応ではなく、東大農学部の弥生講堂アネックス「セイホクギャラリー」で行います。今のところ14:30頃スタートの予定ですが、詳細が決まったらまたアナウンスします。ぜひふるってご参加下さい。

Qinghuaさんは、ハエDicer-2のパートナータンパク質であるR2D2を生化学的に単離・同定し、Dicer-2には長いRNAを切断してsiRNAを作る役割と独立して、siRNAをArgonaute2に取り込ませる働きを持つということを初めて示した人です。彼は、未知タンパクの生化学的単離(いわゆる古典的な「ものとり」)が得意で、その後もRISC形成を促進させるエンドヌクレアーゼ複合体のC3POなど、次々と重要な因子を発見してきました。最終精製産物のゲルの写真は本当に美しく、いつもうらやましくてうっとりため息をついてしまうしまうぐらいです。今の世の中、「ものとり」がちゃんと出来るひとはとても少なく、伝統工芸・世界遺産みたいなものだと思います。今度のTRCでは、ぜひその秘伝のテクニックを伝授してもらいたいものです。

では、今年も本領域がますます発展する1年であることを期待しています。

領域代表
東大分生研・泊 幸秀

January 8, 2012

今世代シーケンサ

あけましておめでとうございます、河岡です。
今年もよろしくお願い致します。

下で中川さんが次世代シーケンサのことについて書かれていますが、年末は、まさに次世代シーケンサがはきだしたデータ群と1週間ぶっとおしで格闘して知恵熱を出し、喘息発作を併発し、さんざんでした。

その次世代シーケンサ、次世代っていう言い方自体が?となるくらい、汎用されるようになってきていますね。あと数年したらもっと当たり前になってくるんでしょう。ともあれ、技術そのものに振り回されてしまうのは悔しいので、どんな技術でも使い倒せるように精進していきたいです。PCRの原理が分からないのにバンドやグラフを見せられて納得することはできませんから、少なくとも、その実験原理や解析手法の実際、どういうことができてどういうことができないのか、そのあたりだけでも常に把握しておきたい、と思っています。

あと、やはり、使いこなせるようになってきて思うことは、新しいことを身につけて物事を新しい側面から眺められるようになる、というプロセスそのものが刺激的で楽しい、ということです。目の前に技術革新が転がっているいまは、知的好奇心には何と素晴らしい時代か、と思います。

全然関係ない話ですが、先日、弟が、誕生日プレゼントだといってなんと1万円ぶんの図書カードをくれました。本が大好きな僕にとってはもっとも嬉しいタイプのプレゼントです。今日、うきうきと大きな本屋まで行って、カード片手に本を選びました。

悩んだ末に、結局、「How Humans Evolved: ヒトはどのように進化してきたか」という本を購入することにしました(9000円!!)。プレゼントがなかったら絶対に手が出ない額です。アメリカの大学の人類学の教科書の和訳本、ということです。他にも欲しい本はいっぱいあったのですが、なぜこれを購入したかというと、題名を見てふと、人類の歴史を全然知らんなあ、と思ったからです。こなすべきタスクはそれなりにたくさんあるのですが、時間を見つけて読み進めて、面白かったらリポートします。

僕は今年の3月末に渡米します。普通に考えたら2012年は結構な変化の年になるのでしょうか。とはいえ、変わるのは場所だけで、自分自身が劇的に変わるとも思えないので、気張らず、今まで通り、自分が面白いと思うことを研究していきます。見かけの分野は若干変わりますが、どうか忘れないでください。

2011&2012

いつの間にか年が明けて時代は2012年に入っていました。

 昨年はどんな年だったのか、おそらく全ての方にとって色々な意味で生涯忘れ得ぬ一年であったとは思いますが、非コードRNA業界、特に長鎖関連の非コードRNAに関して言えば、予想に違わず、次世代シークエンサーによる解析が当たり前のように使われるという傾向にますます拍車がかかってきた年、だったような気がしています。一昔前の論文とデーターの並べ方や作法を明らかに異にした論文が、2010年はぽつり、ぽつりと見かける、といった感じだったのが、昨年はまたきたまたきた、という感じで、ぱっと見には生物関連の論文かどうかも分からないような論文すらしばしば目にしたような気がします。ゲノムにリードを貼付けた図はもはや業界標準。なにやらいろいろな線やベクトルが飛び交っている図を見ると、もう隔世の感があるというかなんというか、、、次世代シークエンサーを使ったからといって全ての疑問に答えが出るわけではないのでしょうが、そもそも配列データーをなんぼ眺めていてもタンパク質の性質が分からないように、それは生命現象のごく一部を示すにすぎないのはそうなのですが、データーの解析も含め、今日び行われている遺伝子発現・配列解析にある程度の素養を身につけなければ話にならない、という時代にさしかかりつつあるのかもしれません。ただ、どの程度身につけることが出来るかというと、ネイティブかどうか、というところがかなり分水嶺になるところで、ウエスタンブロットやらノザンブロットやらで青春時代を過ごしてしまった世代にとっては、なかなか使いこなすのが難しい技術、でも、大学院に入った時からプログレスレポートでガンガン統計処理のデーターを見慣れている世代にとっては、まな板に水を流すようにすんなりと入ってくる技術なのではないでしょうか。このような状況はもしかすると組換えDNA技術が出てきたときに似ているのではないか、と、ふと思ったりもします。僕自身が大学院に在籍していた時の研究室のボスは、いわゆる組換えDNAの実験を全くされたことのない方で、内容は当然理解されていたでしょうけれども、セミナーで技術的なdetailのディスカッションになった時などは、第二外国語を聞いているぐらいの感覚だったのではないかと、今にしてみれば思います。ちなみに、もうすこし現場のことを分かってくれーと思う一方、ちょっと距離を置いたコメントが妙に身にしみたりするのですよね。ネイティブになるのも良し、ネイティブになりきらないのもまた良し、なのかもしれません。

 それにしても時代の進歩というのは大したものだとつくづく思います。いつかここでも懲りずに披露してしまった下ネタの繰り返しになりますが、ちょっと前まで駅のトイレなんてよっぽどのことが無ければ入る気がしなかったのが、今では下宿でするぐらいなら駅で、、、なんて人も居るのではないかと思うぐらいきれいに整えられています。いろいろ厳しいご時世で、というのは新聞を読んでいなくても巷の誰もかもが口にすることですが、果たしてそうなのかと疑問に思うこともしばしばあり、少なくともサイエンスの質だけ考えれば、ハード面もソフト面も昔に比べれば20年前の状況よりも遥かに恵まれているような気がします。一週間寝食を忘れて実験にいそしんで、出てきた結果がたった3kbのcDNAの塩基配列を決定しただけ、なんてことが日常茶飯事だった訳ですから。あの頃は、大きいことは良いことだ、みたいな雰囲気もあったような気がします。たくさん働いて、たくさんお金をつぎ込んで、ガンガン進んでいけば何かが見える。体育会系のクラブの悪い風習の一つにとことん飲めるやつがエラい、みたいな変な風習がありましたが、またそういった風習は一回生の頃は大嫌いでも四回生になると大好きになっていて極めて厄介なのですが、本来の目的〜体を鍛えるなり試合で勝つなり〜といったところから外れて祭りの狂乱よろしく内輪の共同幻想だけが一人歩きしてしまうと、なんだか悲しい気分になってきますよね。あの頃は良かった、とか言ってる大人を信用してはいけないというのはマルクスも言っておられますが(言っていないっっ!!)、バブルの頃は良かったとかいう人を見るたびに、50を超えて下ネタ芸をやって喜んでいる性悪おっさんのように見えてきてしまうのですよね。

 だいぶ話がそれてきてしまいましたが、ちょっと前までは、たとえば理研が研究所をあげて進めていたプロジェクトが、共同研究ベースであれば手のひらサイズでそんなビッグラボでなくても手の届くところにあるというこの現実は、種子島に鉄砲が伝えられたとき以来の衝撃であるような気がしています。さてそれをどう使うか。馬鹿と鋏は使いようですから、若い世代の人たちはがんがん火縄銃を使いこなして騎馬隊をやっつけたら良いのだと思います。若くもなく大御所でもない僕らの世代がやることは、、、的になることだったりして。まあ、時代の最先端を行く武器の的になるのであれば、よろこんで撃沈されたいところです。

 今年はどんな年になるのでしょう。個人的な予言でいいますと、「長鎖非コードRNAのパラドックス」が解決される手がかりが得られる年になるのではないかと。「長鎖非コードRNAのパラドックス」とはなんぞや。学会もなく班会議も無い冬の時期にこのブログへの投稿数が減ることを考慮して(そうでなくても閑古鳥が鳴いているという突っ込みはさておき)、これはもったいぶって次回に詳しく書きこみたいと思います。

今年もよろしくお願いいたします。新年の挨拶まだですかー(>領域代表&つわものたち)

中川