June 17, 2013

英語のレビュー(2)

「レビュー」という言葉は多分それほど人口に膾炙した言葉ではないと思います。実際、始めてレビューという英単語を知ったのは「宝塚のレビュー」のほうが先だったかもしれません。ものの見事に格差社会を体現した大きな羽のお姉さんと小さな羽のお姉さん、羽すら無いないお姉さんがあり得ない笑顔で写真に納まっている阪急電車の吊り広告、、、レビューとはパレードみたいなものかと勘違いしていた人も多いのではないでしょうか(いないか)。

さて、サイエンスの世界のレビュー。これはいうまでもなく総説・批評なわけですが、誰がそれを書くべきなのか、良くわからなくなる事があります。かつて、僕がポスドクだった頃、自分の仕事について総説を書いてくれという依頼がボス経由できた時は、「自分の仕事を宣伝するなんて厚かましい事は誇り高き日本人として、私のメンタリティーに合いません」とかなんとか、訳の分からない言い訳をして断った事がありましたが、若かったですね。ボスは出来た方でしたから、特に咎めることもなく小首をかしげ、あらそうかしら、でもあなたがそういうなら仕方ないわね、とモナリザの微笑を返してくださりましたが、今から考えるとなんと生意気なことを言ったのかと、思い出すに忸怩たるものがあります。日本語のレビューでもちょっと触れましたが、当時はレビューを書いているひまがあったら実験せいっつ!!というかなり先鋭化したソルジャーだったもので、ちょっと歩みを止めてじっくり考えるという事自体、自分がやるべき仕事だと考えた事もありませんでした。そもそも、レビューというのはなんかこう、殿上人が書くものであって、ポスドクレベルの人間が書くものではない、とカチカチに考えていたようなきがします。

しかしながら、ポスドクはいずれ若手PIになり、中堅どころになってやがて老いていくのは当然の摂理で、じゃあいつになったらレビューを書くのか、という話になってきます。今でしょ!とかいう人もいれば、決してレビューを書かない、という方もおられると思います。時間を取られるのは間違いのないところですし。そもそも、レビューという一種の論文の存在価値が、ここ数年でがらりと変わってきつつあるような気がします。生命科学の分野が急速に拡大しているのは間違いないと思いますが、それにも増して論文の数は増加し、雑誌の数も増加し、それに比例してレビュー論文の数も増してきました。一昔前ならかなり名の知れた人にしか声がかからなかったレビューの依頼も、最近では(雑誌にもよりますが)インフレがだいぶ進んできて、いわゆる鼻毛ファクターの低い雑誌であれば、それほど高いハードルなくデビュー可能です。その格の違いたるや、ちょうど松田聖子とAKB48の研究生ぐらいの差ぐらいでしょうか。下手をすると誰も読んでくれないかもしれない。売れないアイドルでも友達と親戚ぐらいはレコードを買ってくれるかもしれませんが、英語のレビュー…これは読者層として家族も親戚も期待できません。下手をすると日本語のレビューよりも読まれず、一回もダウンロードもされないかもしれないレビューを、はたして書くだけの気力が湧くのだろうか、、、

今回のレビューの一件は、前回もすこし触れましたが、おととしの分子生物学会で来日されていたElissa LeiさんがBBA Gene Regulatory Mechanismという雑誌でエピジェネティックスの特集号の編集をしているからみで舞い込んできました。彼女の仕事の大ファンの僕は、締め切りまで一年近くあったこともあり、声をかけてもらった時はそれだけで嬉しくて一も二もなく引き受けてしまったのですが、よくよく考えてみると(というか考えるまでもなく)僕自身エピジェネティックの専門家ではありませんし、締め切りまで3ヶ月を切ってきてもなかなかモティベーションが上がらず、一体何を書けば良いのだろうと、"epigenetics and nuclear long noncoding RNA"という彼女から与えられたお題を前に、ただただぼーっとしながら、欄を埋めれば一応仕事になる年度末の書類書きとベンチでの実験に現実逃避する日々が続いていました。(続く)

中川

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