名人戦が羽生さん相手に無類の強さを発揮する森内名人のタイトル防衛で終了した事を記念して、棋聖戦が始まった事も記念して、だいぶマニアックな出だしになってしまいましたが、将棋の指し手と僕らのncRNA研究の仕事の進展の類似性について、つねづね思っていた事をリアルタイムで報告していきたいと思います。
リアルタイム??それはさすがに企業秘密もあるので無理として、、、
とかく将棋の指し手の選択と研究プロジェクトの方向性を決める決断は似ています。というか、将棋用語を使うと何かと便利です。もうこれ詰んでいるとか。必死がかかったとか。局面が広いなあとか。わが愛しのGomafuは詰んでいます。なんていってしまうと世の中終わってしまいますから(おわらないおわらない)、詰めろぐらいにしておきましょうか。まだ詰めろ逃れの詰めろはかけられるかな、とか。鬼手を放てばなんとかなるかな、とか。
もう少し具体的に話をしてみますと、プロジェクトを始めるとき。これは、今日はこの戦型で行ってみようかな、とプロ棋士が考えるようなものかもしれません。定跡をなぞるか、いきなり力戦型で行くか。定跡をなぞるということは、はやりの分野の分子メカニズムでまだ課題となっている局面、おっと、サイエンスの言葉でいわなければいけませんね、つまり超有名分子のターゲット遺伝子や相互作用分子の同定、ということになるでしょうか。力戦系というのは、全くゼロから始めるということですから、十年前でしたらPiwiファミリーの解析をはじめようかとか、RISCの生化学をやってみようかとか、長鎖ノンコーディングRNAを調べてみようか、とかいう感じになるでしょうか。定跡の研究はものすごいスピードで進んで一昔前の力戦系はいまや定跡になりつつあるのかもしれませんが。。。
プロジェクトの大枠を決めて次に来るのは中盤の難所です。ある程度やる事をやって戦(プロジェクト)の準備が整って、いざ合戦開始。これはちょうど科研費に応募するぐらいまで局面が進んだ、おっと、サイエンスの言葉でいえば実験系のproof of principleが出来たぐらいでしょうか。ここは大事なところで、たぶん「上手に」仕事が進む人は、正しい実験系を選んでいるのだと思います。もしくは、正しい「答える事が可能な」問いを立てているといいますか。例えば、遺伝学的なアプローチをしてもらちがあかないけれども生化学的なアプローチをしたらとたんに道が開けた。こういうことはあると思います。ショウジョウバエのAgo2の解析はまさにそうだったのではないでしょうか。何を隠そう、僕自身、大学院生の博士課程の頃、Ago2の変異体の解析をいちはやく始めたUグループと同じラボで一緒にプログレレスセミナーなどさせてもらっていたのですが、Wntシグナル関連のサプレッサーとして取れてきたAgo2の変異体とRNAi(これも当時は見つかっていなかったのですが)を絡めて考える想像力は、これっぽっちもありませんでした。当時、エラそうな顔をして(院生頭だったもので、、、)恥ずかしげもなく的外れなコメントをして、そのくせ良いコメントをだなあと自画自賛して(アホ丸出し)、おりゃ飲み会にいくぞうとかけ声だけは勇ましく、二日酔いの朝にありがちなすごく良いディスカッションをしたなあという空虚な勘違いとしゃべりすぎたなあという現実的な反省をちょっぴりだけして万事終了と来る、そういう態度では、中盤の難所というのは決して乗り切れない。それだけは最近良くわかってきました。正しいアプローチをすれば次々と結果が出て、その次の実験計画も立てられる。そうでない時は、じっくりと考えて、別の手を探す。つまり別のアプローチを考える。この辺りが実験生物学としては一番面白いところなのかもしれません。
さて、最後にくるのが終盤です。ストーリを組み立てて突き進んでみたらこれが以外とうまく行く。作業仮説を確かめるための実験も次々と思いついて、実際これが予想通り。最後は決め手の実験を、、、
終盤というのは論文投稿と受理までということを考えると非常に長いのですが、意外とあっさり詰んで研究が終わってしまう事も良くあります。ストーリーを組み立ててきて自分でも怖いぐらいに思い通りのデータが次々と出てきて、最後の決めの実験をやってみたらアウト、みたいな。これは結構こたえますね。だいたいの感触ですが、実際に実験を進めてみて、終盤で一手ばったり、はい終了、というのが7割から8割ぐらい、のような気がします。抗体の交差反応でストーリーを組み立てていたなんていうのは論外として、サンプルを取り違えていたとかいうのは愛嬌として、よくよくキチンとコントロールをとっていれば防げたはずのミスでイタい目に合った事は数知れません。直近(といってもだいぶ前ですが)の例でいいますと、Gomafuノックアウトマウスで活動量が若干増加するけれどもそのメカニズムがなかなか分からなかったころ、誘導型プロモーターのTet-OnシステムでGomafuを発現する細胞を作って、誘導剤DOXのありなしの条件でとったRNAを使ってマイクロアレイ解析をして、Erg1という「超有名な」初期応答遺伝子が顕著に上がってきたことがありました(つまり、Gomafuがあると、特定の初期応答遺伝子の発現が上がってくるという結果)。in situでもノザンでもその細胞を使う限り同じ結果がでることが確かめられた時には、ネガティブデータばかりで頭を抱え込んで机に突っ伏しているのが似合い始めていた学生さんと手に手を取って(ちょっと大げさ)喜び合い、飲みに繰り出し自宅に帰り、それでも興奮覚めやらず三日酔になるぐらいに飲み上げたのを良く覚えています。しかるに。この夢は、その働き者の学生さんがTet-ON発現ベクターを導入していないいわゆる親株の細胞でも同じ効果が出るというのを次の週には見つけてしまったので(DOXを入れただけで結構遺伝子発現は変化する)、ああ無情。あっという間に一攫千金の夢は霧散してしまいました。他にも書き出したらきりがないのですが、僕の妄想をあざ笑うかのように次々と冷徹な結果を突きつけてくる「生命体」。Gomafuの機能解析に関してはありとあらゆる手を繰り出してきましたが、良いところまでは来るのですが、最後まで辿り着けていません。
ともあれ、終盤は、この一手ばったりが多いので、ある意味中盤よりも魔物です。この表現型さえ消えなければ、ここでこのin situのシグナルさえ消えてくれれば、このバンドさえ出てくれれば、、、いっそのことバンドサインペンで書いちゃえ、なんて悪魔の声が聞こえてきても学生さん達は決して耳を貸さないように!!!一手ばったり、はい終了、あなた詰んでいます、というのは結局は序盤中盤で選んでいる手が悪いのです。
どんどんまとまりが無くなってきてしまいましたが、人類の至宝、羽生さんがいろいろなところで書かれている「なるべく激しい切り合いは避ける、手の広い局面に誘導する」というのは研究にもすごくつながるような気がします。一直線にストーリーありきで仕事を進めて、あとこのデータさえ出れば、このバンドさえ出れば、と思っていると、偉大なる自然はまだまだおまえも未熟よのおと軽くネガティブなデーターで返事してくる事が多いので、というかほとんどそれなので、何があっても驚かない、ありとあらゆる可能性を残してただただ無心に実験をする、というのが正しい態度なのでしょう。司馬遼太郎さんでしたらこのあたりで「キコリ」と「サトリ」の逸話が2ページぐらい出てくるところです。はい。実験屋としては、ああありたいところです。
さて、この新学術も残り半年あまりとなってしまいました。Gomafuは詰んだのか、詰んでいないのか。リアルタイムで中継できないのが残念ですが、きっとこの研究班の皆さんも、必死の思いで相手の(研究対象の)最後の詰めを探しておられるところだと思います。読み筋通りにうまく行くにせよ、うまく行かないにせよ、良い棋譜を残したいものだと思います。研究の世界では詰まされた(お箱入りになったプロジェクトの)棋譜が(苦労話が)残らないのがちょっと残念、ですね。
中川
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