June 25, 2013

英語のレビュー(3)

というわけでなかなかモティベーションが上がらなかったエピジェネと核内ncRNAに関するレビュー。ますますモティベーションが下がる出来事、というほど大げさなものではありませんが、この分野、それなりに最近注目を浴びているのは間違いなく、いわゆる名の売れた方のレビューが、いわゆる名の売れた雑誌に、毎月のように掲載されています。年末、、、まだ締め切りまで半年ぐらいあるや、と思っていた頃に出てきた、なにかと話題に上る頭の回転は光速流のLeeさんのレビューは結構こたえました。もう書く事無いじゃん、みたいな感じでしょうか。他にも、この分野の若き双璧Rinn&Changさん、レビューばっかり書いているんじゃなくて立派にオリジナルの仕事もしています!!のMattickさん、エンターテイメントならお任せのMorrisさん、なんだか微妙に失言ばかり重ねているようですが、皆さん強烈な個性で実に勢いのあるレビューを次々と書かれています。まさに楽しくてしょうがない毎日を歌い上げたドリカム調のレビュー。うれしいたのしい大好き!!!ここまで幸せそうに歌い上げられたら、なにもすることありませんがな、と、逆に意気消沈してしまいます。

とはいえ、ボーっとしていれば締め切りは残酷にも一日過ぎれば一日だけ確実に迫ってきます。ごめんなさい、ドタキャン許してね、と、メールを送ろうかとも思ったのですが、このあたり、依頼元であるElissaさんのファンとしては、冷たい笑顔で仕方ないわね、あっそ、とか言われるのがいやで、というかそんなことは恥ずかしくてとても出来ないので、とりあえず山のように積み上げた初期のトランスクリプトーム関連の論文をえっちらここっちらこと読む日々が続いていたのですが、

あ、そうか、このブログで話題になっていた事を書いたら良いのか!

と思ったら俄然やる気が出てきました。転んでもただでは起きない、いや、転んでいません。この新学術の公式ホームページncRNA+Blogは班員の皆様の活動と社会との貴重な接点となっているはずです!!(むなしくなってきましたが)。

ともあれ、ここで貴重な議論がいくつかありました。泊さんが書かれたこれとかそのあとのこれとか。生化学的なアッセイが長鎖ncRNAの研究に欠けていますね、という話です。また、遺伝学的なエビデンスと培養細胞から得られた結果の差についても、Malat1がらみの話でいくつか紹介してきました。このネタなら、ncRNAの業界を引っ張っている連中、おっと言葉がわるい、業界のパイオニア達が書いているレビューにも載っていないし、Neilさんがたしかに一寸書いていたけれども、ncRNA一般であればもうすこし自分らしい色も出せるかな、と。

人によっていろいろだとは思うのですが、僕は非常にslow writerで、一つの論文のゲラを仕上げるのに数ヶ月かかってしまう事がざらなのですが、正直なところ、そのほとんどの時間、何も書いていない日々を過ごしていることが多いです。ちょっとした調べ物をしようとSafariを立ち上げたつもりが、なぜかいつのまにか名人戦棋譜速報や虚構新聞に現実逃避していたり、、、けしからん。実にけしからん。ただ、今回の件に関して言えば、ncRNA+Blog路線で行こう!と決めてからは、まあこの怠け者がここまで集中するかいなと自分でもあきれるぐらい、学部2回生の時に始めてMolecular Biology of the Cellの第2版に出会って世の中にこんな面白い世界があるのかと夢中になってページを繰っていた時に戻ったぐらい、サルのように文献を読みあさってしまいました。ただ、こうやってハイになって論文を読むと、おうおうにして深夜に読む事になるので、次の日になると、なんであんなに夢中になっていたのだろうと凄まじいドップラー効果の揺り戻しがきて、あれ、これってこんなに面白かったっけ?なんて事にもなりがちです。

いずれにせよ、核内ノンコーディングRNAとエピジェネティックスのレビューは、いつの間にか長鎖ncRNA研究の苦悩みたいな話になってしまいましたが、一緒にこのブログで議論して下さった影山さん、泊さん、泊さんのところのJ君の力を借りながら、なんとか投稿までこぎ着けることができました(←今ここ)。

中川

June 17, 2013

英語のレビュー(2)

「レビュー」という言葉は多分それほど人口に膾炙した言葉ではないと思います。実際、始めてレビューという英単語を知ったのは「宝塚のレビュー」のほうが先だったかもしれません。ものの見事に格差社会を体現した大きな羽のお姉さんと小さな羽のお姉さん、羽すら無いないお姉さんがあり得ない笑顔で写真に納まっている阪急電車の吊り広告、、、レビューとはパレードみたいなものかと勘違いしていた人も多いのではないでしょうか(いないか)。

さて、サイエンスの世界のレビュー。これはいうまでもなく総説・批評なわけですが、誰がそれを書くべきなのか、良くわからなくなる事があります。かつて、僕がポスドクだった頃、自分の仕事について総説を書いてくれという依頼がボス経由できた時は、「自分の仕事を宣伝するなんて厚かましい事は誇り高き日本人として、私のメンタリティーに合いません」とかなんとか、訳の分からない言い訳をして断った事がありましたが、若かったですね。ボスは出来た方でしたから、特に咎めることもなく小首をかしげ、あらそうかしら、でもあなたがそういうなら仕方ないわね、とモナリザの微笑を返してくださりましたが、今から考えるとなんと生意気なことを言ったのかと、思い出すに忸怩たるものがあります。日本語のレビューでもちょっと触れましたが、当時はレビューを書いているひまがあったら実験せいっつ!!というかなり先鋭化したソルジャーだったもので、ちょっと歩みを止めてじっくり考えるという事自体、自分がやるべき仕事だと考えた事もありませんでした。そもそも、レビューというのはなんかこう、殿上人が書くものであって、ポスドクレベルの人間が書くものではない、とカチカチに考えていたようなきがします。

しかしながら、ポスドクはいずれ若手PIになり、中堅どころになってやがて老いていくのは当然の摂理で、じゃあいつになったらレビューを書くのか、という話になってきます。今でしょ!とかいう人もいれば、決してレビューを書かない、という方もおられると思います。時間を取られるのは間違いのないところですし。そもそも、レビューという一種の論文の存在価値が、ここ数年でがらりと変わってきつつあるような気がします。生命科学の分野が急速に拡大しているのは間違いないと思いますが、それにも増して論文の数は増加し、雑誌の数も増加し、それに比例してレビュー論文の数も増してきました。一昔前ならかなり名の知れた人にしか声がかからなかったレビューの依頼も、最近では(雑誌にもよりますが)インフレがだいぶ進んできて、いわゆる鼻毛ファクターの低い雑誌であれば、それほど高いハードルなくデビュー可能です。その格の違いたるや、ちょうど松田聖子とAKB48の研究生ぐらいの差ぐらいでしょうか。下手をすると誰も読んでくれないかもしれない。売れないアイドルでも友達と親戚ぐらいはレコードを買ってくれるかもしれませんが、英語のレビュー…これは読者層として家族も親戚も期待できません。下手をすると日本語のレビューよりも読まれず、一回もダウンロードもされないかもしれないレビューを、はたして書くだけの気力が湧くのだろうか、、、

今回のレビューの一件は、前回もすこし触れましたが、おととしの分子生物学会で来日されていたElissa LeiさんがBBA Gene Regulatory Mechanismという雑誌でエピジェネティックスの特集号の編集をしているからみで舞い込んできました。彼女の仕事の大ファンの僕は、締め切りまで一年近くあったこともあり、声をかけてもらった時はそれだけで嬉しくて一も二もなく引き受けてしまったのですが、よくよく考えてみると(というか考えるまでもなく)僕自身エピジェネティックの専門家ではありませんし、締め切りまで3ヶ月を切ってきてもなかなかモティベーションが上がらず、一体何を書けば良いのだろうと、"epigenetics and nuclear long noncoding RNA"という彼女から与えられたお題を前に、ただただぼーっとしながら、欄を埋めれば一応仕事になる年度末の書類書きとベンチでの実験に現実逃避する日々が続いていました。(続く)

中川

June 5, 2013

一手ばったり僕らの仕事

 名人戦が羽生さん相手に無類の強さを発揮する森内名人のタイトル防衛で終了した事を記念して、棋聖戦が始まった事も記念して、だいぶマニアックな出だしになってしまいましたが、将棋の指し手と僕らのncRNA研究の仕事の進展の類似性について、つねづね思っていた事をリアルタイムで報告していきたいと思います。

リアルタイム??それはさすがに企業秘密もあるので無理として、、、

とかく将棋の指し手の選択と研究プロジェクトの方向性を決める決断は似ています。というか、将棋用語を使うと何かと便利です。もうこれ詰んでいるとか。必死がかかったとか。局面が広いなあとか。わが愛しのGomafuは詰んでいます。なんていってしまうと世の中終わってしまいますから(おわらないおわらない)、詰めろぐらいにしておきましょうか。まだ詰めろ逃れの詰めろはかけられるかな、とか。鬼手を放てばなんとかなるかな、とか。

もう少し具体的に話をしてみますと、プロジェクトを始めるとき。これは、今日はこの戦型で行ってみようかな、とプロ棋士が考えるようなものかもしれません。定跡をなぞるか、いきなり力戦型で行くか。定跡をなぞるということは、はやりの分野の分子メカニズムでまだ課題となっている局面、おっと、サイエンスの言葉でいわなければいけませんね、つまり超有名分子のターゲット遺伝子や相互作用分子の同定、ということになるでしょうか。力戦系というのは、全くゼロから始めるということですから、十年前でしたらPiwiファミリーの解析をはじめようかとか、RISCの生化学をやってみようかとか、長鎖ノンコーディングRNAを調べてみようか、とかいう感じになるでしょうか。定跡の研究はものすごいスピードで進んで一昔前の力戦系はいまや定跡になりつつあるのかもしれませんが。。。

プロジェクトの大枠を決めて次に来るのは中盤の難所です。ある程度やる事をやって戦(プロジェクト)の準備が整って、いざ合戦開始。これはちょうど科研費に応募するぐらいまで局面が進んだ、おっと、サイエンスの言葉でいえば実験系のproof of principleが出来たぐらいでしょうか。ここは大事なところで、たぶん「上手に」仕事が進む人は、正しい実験系を選んでいるのだと思います。もしくは、正しい「答える事が可能な」問いを立てているといいますか。例えば、遺伝学的なアプローチをしてもらちがあかないけれども生化学的なアプローチをしたらとたんに道が開けた。こういうことはあると思います。ショウジョウバエのAgo2の解析はまさにそうだったのではないでしょうか。何を隠そう、僕自身、大学院生の博士課程の頃、Ago2の変異体の解析をいちはやく始めたUグループと同じラボで一緒にプログレレスセミナーなどさせてもらっていたのですが、Wntシグナル関連のサプレッサーとして取れてきたAgo2の変異体とRNAi(これも当時は見つかっていなかったのですが)を絡めて考える想像力は、これっぽっちもありませんでした。当時、エラそうな顔をして(院生頭だったもので、、、)恥ずかしげもなく的外れなコメントをして、そのくせ良いコメントをだなあと自画自賛して(アホ丸出し)、おりゃ飲み会にいくぞうとかけ声だけは勇ましく、二日酔いの朝にありがちなすごく良いディスカッションをしたなあという空虚な勘違いとしゃべりすぎたなあという現実的な反省をちょっぴりだけして万事終了と来る、そういう態度では、中盤の難所というのは決して乗り切れない。それだけは最近良くわかってきました。正しいアプローチをすれば次々と結果が出て、その次の実験計画も立てられる。そうでない時は、じっくりと考えて、別の手を探す。つまり別のアプローチを考える。この辺りが実験生物学としては一番面白いところなのかもしれません。

さて、最後にくるのが終盤です。ストーリを組み立てて突き進んでみたらこれが以外とうまく行く。作業仮説を確かめるための実験も次々と思いついて、実際これが予想通り。最後は決め手の実験を、、、

終盤というのは論文投稿と受理までということを考えると非常に長いのですが、意外とあっさり詰んで研究が終わってしまう事も良くあります。ストーリーを組み立ててきて自分でも怖いぐらいに思い通りのデータが次々と出てきて、最後の決めの実験をやってみたらアウト、みたいな。これは結構こたえますね。だいたいの感触ですが、実際に実験を進めてみて、終盤で一手ばったり、はい終了、というのが7割から8割ぐらい、のような気がします。抗体の交差反応でストーリーを組み立てていたなんていうのは論外として、サンプルを取り違えていたとかいうのは愛嬌として、よくよくキチンとコントロールをとっていれば防げたはずのミスでイタい目に合った事は数知れません。直近(といってもだいぶ前ですが)の例でいいますと、Gomafuノックアウトマウスで活動量が若干増加するけれどもそのメカニズムがなかなか分からなかったころ、誘導型プロモーターのTet-OnシステムでGomafuを発現する細胞を作って、誘導剤DOXのありなしの条件でとったRNAを使ってマイクロアレイ解析をして、Erg1という「超有名な」初期応答遺伝子が顕著に上がってきたことがありました(つまり、Gomafuがあると、特定の初期応答遺伝子の発現が上がってくるという結果)。in situでもノザンでもその細胞を使う限り同じ結果がでることが確かめられた時には、ネガティブデータばかりで頭を抱え込んで机に突っ伏しているのが似合い始めていた学生さんと手に手を取って(ちょっと大げさ)喜び合い、飲みに繰り出し自宅に帰り、それでも興奮覚めやらず三日酔になるぐらいに飲み上げたのを良く覚えています。しかるに。この夢は、その働き者の学生さんがTet-ON発現ベクターを導入していないいわゆる親株の細胞でも同じ効果が出るというのを次の週には見つけてしまったので(DOXを入れただけで結構遺伝子発現は変化する)、ああ無情。あっという間に一攫千金の夢は霧散してしまいました。他にも書き出したらきりがないのですが、僕の妄想をあざ笑うかのように次々と冷徹な結果を突きつけてくる「生命体」。Gomafuの機能解析に関してはありとあらゆる手を繰り出してきましたが、良いところまでは来るのですが、最後まで辿り着けていません。

ともあれ、終盤は、この一手ばったりが多いので、ある意味中盤よりも魔物です。この表現型さえ消えなければ、ここでこのin situのシグナルさえ消えてくれれば、このバンドさえ出てくれれば、、、いっそのことバンドサインペンで書いちゃえ、なんて悪魔の声が聞こえてきても学生さん達は決して耳を貸さないように!!!一手ばったり、はい終了、あなた詰んでいます、というのは結局は序盤中盤で選んでいる手が悪いのです。

どんどんまとまりが無くなってきてしまいましたが、人類の至宝、羽生さんがいろいろなところで書かれている「なるべく激しい切り合いは避ける、手の広い局面に誘導する」というのは研究にもすごくつながるような気がします。一直線にストーリーありきで仕事を進めて、あとこのデータさえ出れば、このバンドさえ出れば、と思っていると、偉大なる自然はまだまだおまえも未熟よのおと軽くネガティブなデーターで返事してくる事が多いので、というかほとんどそれなので、何があっても驚かない、ありとあらゆる可能性を残してただただ無心に実験をする、というのが正しい態度なのでしょう。司馬遼太郎さんでしたらこのあたりで「キコリ」と「サトリ」の逸話が2ページぐらい出てくるところです。はい。実験屋としては、ああありたいところです。

さて、この新学術も残り半年あまりとなってしまいました。Gomafuは詰んだのか、詰んでいないのか。リアルタイムで中継できないのが残念ですが、きっとこの研究班の皆さんも、必死の思いで相手の(研究対象の)最後の詰めを探しておられるところだと思います。読み筋通りにうまく行くにせよ、うまく行かないにせよ、良い棋譜を残したいものだと思います。研究の世界では詰まされた(お箱入りになったプロジェクトの)棋譜が(苦労話が)残らないのがちょっと残念、ですね。

中川