とは、知人のカメラマンの言なのですが、灯台下暗し、ごくごく近所にずっと気になっていた探し物が井上陽水の歌のように見つかってしまったという彼のFacebookのstatusを見て、思わず反応してしまいました。
研究者なら自分の足で歩き回るのは当たり前、というのは理想ではありますが、往々にして自分の足で歩き回って道を見つけるよりは高速道路を使った方が遥かに早かったりします。たとえば、先人の方々が苦労して作り上げたり、一子相伝みたいにラボで引き継がれている技術は、それが汎用性の高いものである場合(つまりそれほど自慢するほどのものではないものの場合)、実はcommercialなもののほうがずっと優秀、ということは良くあります。「おまえキアゲン使っただろ。セシウム回せセシウム!!」というのはネットに転がっているOK野研の伝説の名文でありますが、いや、実際のところ、セシウム回すより、キアゲンのカラムの方が、便利で早くて、成績も良いことのほうが多いです。滅菌筒とフィルターを組み立ててオートクレーブして自分で調合した培地を濾過滅菌して、、、なんて手間のかかった培地よりも、トータルコストではそう変わらないpre-madeの培地で培養した細胞がピカピカ元気そうでいるのを見た時の気分をどう表現したら良いか、、、明治維新に蒸気機関車に遭遇した鞍馬天狗、みたいなものでしょうか。
高速道路は色々なところに転がっていて、たとえば文献検索(古くは黴臭い書庫での孫引き)であったり、たとえば相同分子のスクリーニング(古くはlow stringencyのハイブリダイゼーション)であったり、といったところでしたら、高速道路を使わない方がバカらしいとは思います。近頃ではallen brain atlasやら様々な公共データーベース上のRNAseqのデータやら、下手したらベンチに居なくても、いや、むしろそういうデーターをうまいこと使いこなし咀嚼する方がベンチに居るよりもよっぽどマシな成果が出るのではないかと思わせられるような道筋も整備されてきています。ただ、ネットはなんでも教えてくれますが、自分が何をやりたいのかは教えてくれません。データベースも、何でも教えてくれますが、配列でも何でも教えてくれますが、ものすごいhigh throughputでヒストンの修飾状態は教えてくれますが、どこに行ったら居心地が良いかということを教えてくれる訳ではありません。
行きたいところというのは子供の頃は月だったりアンドロメダ大星雲だったり、夢はあるけれどもそんなところ行ける訳ゃあないところで、ちょっと成長すると今度は妙に下世話になんかちょっとヤバい香りのする、行こうと言えば行けるけど全く以て夢の無いところになって、もうちょっと成長すると今度は、はてさてどこに行きたかったんだか、わからなくなって日常に忙殺されるようになってしまうのかもしれませんが、自分の足、つまりそれほど最先端でもなく分野横断的でもなくinnovativeでもない足で歩き回って、それでああここに来たかったのだな、という場所に到着したら、それはものすごく幸せなことなのではないかと。
ほとんど伏せ字にする意味のないO野さんのライフワークの一つが目出たく完結したという噂を耳にして、やはりここはひとつ、それがたとえあまり見込みの無い試みであっても、自分の足で歩き回りたくなってしまいました。といって、久方ぶりに普段やらないタイプの実験をするものだから、PCR産物をエタ沈するのに塩を入れるのを忘れて本日終了。兎角実験というのは前に進まないものです。そこに自虐的な喜びを感じる根性、お湯が出ないシャワーに自虐的な喜びを感じるネイビーブルーの根性を身につければ最強かなと。
次回は最近とっても気になった論文を紹介したいと思います。って、これって僕の個人的なブログではないので誰かレポートでも挟んでほしいのですが、近頃はミーティングも無いのでまさに冬の時代、なのでしょうか。
中川
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