March 30, 2011
Tokyo RNA Club the 5th Meeting
領域代表
東大分生研・泊
February 27, 2011
論文を書くということ
影山さんが論文書きの話題を提供されていましたので、常々思っていたことを少し。
研究者が自分の活動を対外的に発表する手段は学会発表であったり特許であったり、一昔であればモノローグの本を出版したりと色々あるわけですが、現在の一般的な理系の研究者の場合、論文を発表することが最も重要なサイエンティフィックな活動であるというのは論を待たないところでしょう。昨今では広く社会に向けて情報を発信することも重視されるようにはなりましたが、少なくとも研究者同士がお互いを評価する場合、ほぼ論文のみが唯一無二の評価基準と言って良いと思います。学会発表で正面から罵倒されることは滅多にありませんが、論文のピアレビューは匿名制度であることも手伝いまあそれは容赦ありません。何もそこまで意地悪にならなくてもと、相手が特定できたら藁人形に釘を打ったろうかと思うこともありますが、それも裏返してみれば研究者が論文をそれだけ重要視しているということに他なりません。
ところがこの論文を書くという作業、なかなか敷居が高いわけです。特に言葉の壁も手伝って、一生書かずに済むのであればそうしたい、という若い研究者の人、特に学生さんなどはそう思っている人も多いのではないでしょうか。少なくとも僕自身は大学院生の時、論文を「出したい」とは思っていましたが、論文を仕上げるために死にものぐるいで実験してデーターを出して図を作ってという作業には何の苦痛も感じませんでしたが、論文を自分が「書く」ものと思ったことは、ただの一度もありませんでした。学生は実験をするもの。指導教官が論文を書くもの。そういった「常識」を自分の頭の中で勝手に作り上げて、それをまた何の疑問もなく受け入れていたわけです。
もし研究者としてメシを長く食っていこうとするのであれば、いつかは論文を書けるようにならなければならないわけですが、一体いつになったら論文を「書ける」ようになるのでしょう?ポスドクになって最初に出くわす悩みは、この論文に関する不安なのではないかと思います。中には例外的な人がいて院生時代から鼻息荒くガンガン論文を書きまくっている人もいるのでしょうが、普通はとりあえずそこに関しては思考を停止して、目の前の実験に没頭する人の方が圧倒的に多いのではないかと思います。そこで世の中には論文の書き方なり、英語の書き方なりを懇切丁寧に説明した指南書が数多く出回っているわけですが、なかなかそういう本を読んでいても、論文を「書ける」ようにはならないような気がします。では一体何がきっかけで、どのようにして論文を「書ける」ようになるのでしょうか。
僕自身、論文書きを語るほど多くの論文を書いてきてはいませんし、上手な書き方が出来るわけでもありませんが、ただ一つ自分の中ではっきりしているのは、論文というのものは「書ける」ようになるもの、ではなくて、「書きたく」なるものだということです。とにかく書きたい、書きたい、という強い気持ちが強く出てきて初めて論文になる。「書きたい」と思わないうちは、その仕事は自分の中で本当に真剣にやりたい仕事ではない、と言うこともできるかもしれません。自分が思いついた研究テーマに取り組み、そこで思ったような結果が出てくれば、論文を「書きたい!」と、強烈に思うのが研究者としての性でしょう。心の叫びですね。今、もし学生さんやポスドクになりたてで自分で論文が書けるかなあ、と不安に思っている人がもしいるのでしたら、全く不安に思うことはないと思います。言葉を覚えたての乳幼児の向上心たるやすごいもので、あれは話したくて話したくてしょうがないからとにかく真似をして思いを伝えようとするわけです。「たかいたかいしてー」が「かたいかたいしてー」でも意味は通じるわけです。論文もどうしても書きたいと思ったら、同じような内容を表現しているセンテンスをいろんな論文からコピーペーストしてつなぎ合わせてゆけば、少なくともこちらの情熱が伝わる論文にはなるでしょう。
論文が「書けない」ことに対する治療薬はいっぱいあります。しかしながら、論文を「書きたくならない」事に対する処方箋はありません。恋をしたことが無い人に恋を教えるようなものですから。
中川
February 10, 2011
ながらふべきか、但し又ながらふべきに非るか、爰が思案のしどころぞ
Science とは不思議なもので、同じ材料で同じようなことを考えているのに、何をやるかは人それぞれであったりします。そういうときに効いてくるのは、個々人の性格や学術的バックグラウンドではないかと思っています。今回は後者の方について思いついたことを書きます。
いきなり個人的な話になりますが、わたしは生化学のラボ出身で(前に書いたかもしれません)、学位論文もバンド物とグラフばっかりなのですが、当時ラボにいたS・Hさんの影響もあってか発生生物学を心のどこかで常に意識しています。自分で思うにこれらの分野の両方を知っていることが私の強みだと思っています(まぁ中途半端ともいえますが)。以下は私の思い込みに基づく勝手な見解です。
発生生物学と生化学は基本的に全く違うもので、個体レベルで起こる発生現象の解明に力点をおいた研究と、化学反応にあずかる生体分子の振る舞いに焦点を当てた研究では、趣が異なるのも当然であろうと思います。もちろん生命現象のメカニズムに迫ろうとする最終的な目的は同じなので、少なからず接点があるわけなのですが。
これらは論文を書くときに如実に現れます。論文というのは研究の一部を切り取って、ひとつの結論を導き出すために書き上げることが多いので、得られた結果をどういうふうに読者に読ませるかを考えなければなりません。最近は字数制限も厳しいですし、なるべく無駄なく書こうとすると、落とし所はひとつに絞られてきます。すべからく introduction から discussion の最後まで、その落とし所に沿った書き方になります。
例えば、生化学の論文ならば、introduction は以下のような感じになることが多いような気がします。
Nuclear steroid receptors function as transcriptional factors and mediate endocrine signals in a variety of biological phenomena including...
発生生物学であれば、こんな感じ。
Lens formation in mammals is an excellent model for cell differentiation and organogenesis, in which single layer of placodal cells...
これらの違いは論文を書くときに初めて現れるわけではなくて、面白そうな結果が出始めたあたりから個々の学術的バックグラウンド(嗜好と言ってもよいかもしれません)や担当者の能力に従って少しづつ顕著になります。もちろん、良くも悪くも「バリバリの」発生屋さんや生化学屋さんなら徹頭徹尾違うと思いますが、微妙な立ち位置にいる私なんかは、どうするべきか悩みながらやっていたりします(あっちを向いたりこっちを向いたり結構危なっかしい)。特に最初の面白そうなデータが出る段階では、まさに試行錯誤状態です。学生やポスドクと意見が合わなくて対立したりすることもあります。
それが発生を理解する上で意味があるのかないのか。あるいは解析している遺伝子の産物が面白い生化学的反応に関与しているのかどうか。もちろんこういう判断基準以外にも色々あってしかるべきなのですが、私の場合は大まかにこれら二つのことを考え、どういう方針でやるか(あるいはやらないか)、思案しながら研究をしている気がします。
発生ではないですが、遺伝学と生化学を両方やるのが当たり前の大腸菌や酵母の人はどう考えているのか、一度聞いてみたいです。
ちなみにタイトルはハムレットのアレの矢田部良吉による和訳です。思案のしどころなのはわかったとしても、正解がわかるとは限らないんですよねぇ。
影山裕二/岡崎統合バイオ
February 8, 2011
金沢


February 7, 2011
Outreach?



February 1, 2011
ジャーナルクラブと三角形
広報担当の中川さんに(中川注:私、だんじて広報担当ではありません、、、)、「領域の可視化に協力を」と依頼されてこの原稿を書いています(書かないと研究費を削られてしまうそうなので・・(中川注:誰ですかそんないい加減なことをいったのは?))。海外留学とか堅い話で盛り上がっているところ緩い話で恐縮なのですが、普段考えている毒にも薬にもならないことを文章にしてみたいと思います。
研究に携わる仕事をしていると、なかなか体系的に説明されない、あるいはしにくいような事があったりします。例えば、「独立するにはどうするか」とか「良い留学先を見つけるにはどうするか」などはその類ではないかと思います。同じようなことで「ジャーナルクラブ」というのも、そのスタイルや仕方、時間などは多種多様で、研究室によってもまちまちではないかと思います。もちろんベストなスタイルなんていうものは存在しないと思いますが、自分のラボの学生やスタッフのジャーナルクラブでの発表を聞いていると、「う〜ん、なにか違う」と感じることがあります。多分それは「立ち位置」のようなものではないかと思います。
この「立ち位置」というのも微妙な表現ですが、要するに「自分」と「紹介する論文」と「そのセミナーを聞く人達」の関係です。例えば研究室に入りたての学生や、新しくその分野に入って来たばかりの人に良く見受けられるパターンは、完全に紹介する論文サイドに立って、その論文に書かれていることを100%信用し、仮に結果についてネガティブな批評でもあったりしたら、まるで自分にイチャモンをつけられたかのように振る舞うようなパターンです。中にはこれとは全く逆のケースもあって、例えばセミナーを聞いている他の参加者から、紹介する論文の結果に対して批判的なコメントがあっても、「いや自分もそう思うんですよ」と相づちをうって、まったく論文側に立ったコメントを返さないような人もいます。
ここまで極端なことはあまりないかもしれませんが、多くの人が多少なりどちらかの傾向を持っているような気がします。もちろんどちらでも発表者の好きにしたら良いと思うのですが、私なりの意見としては、その論文の結果をきちんと理解し評価しつつ、客観的な目を合わせ持って紹介する、つまり論文に対しても、参加して聞いている人達に対しても、ある程度距離を持って紹介すると言うのが理想ではないかと思います(タイトルはそう言う意味です)。例えば、こちらが論文紹介を聞きながら、もしかしたらこんな解釈が出来るかも知れない、と何か思いついてちょっとワクワクしながら質問しても、「え〜と、そのようなことは論文には書かれていませんでした」、とだけ返されるとかなりガッカリします。きちんと客観的に論文を評価し、参加者の意見を尊重すれば、もしそのような質問があった場合でも「論文には書かれていませんでしたが、そうですね確かにそう言う考えはできるかも知れません。ただ自分は〜だと思います」というような自分を中心にした返答が出来るのではないかと思います。
論文を紹介するだけなら、ちゃんと時間をかければ誰でも出来ると思います。ただ自分の立ち位置をきちんとキープして、その場所から客観的に論文を評価しつつきちんと個々の質問に対して答えるというのは、実その次の大事なステップなのかもしれません。まだまだかなぁ、と思ったりしながらいつもセミナーを聞いています。
話は変わりますが、私が大学院の学生で研究室に入ったばかりの頃、一流ジャーナルに出ている論文はそれこそ教科書のように信じて紹介していたのですが、それに対して当時の指導教官は半信半疑というような質問をよくされていました。当時「なんで先生はあんなに懐疑的なことばかり言うのだろう」と思ったりしていましたが、何のことはない、振り返ってみれば今自分がまったく同じように論文を見ているわけです。きっと学生に同じことを思われているのかも知れません。
January 27, 2011
線虫 C. elegans と non-coding RNA 研究について(3)
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私が研究している RNAi (RNA interference) 現象も、線虫で発見されたものである。線虫の初期発生において非対称分裂が正常に生じない par 変異体の原因遺伝子をクローニングするために Kemphues のグループが行った実験が、RNAi 現象が認識されるきっかけとなったと言える。par 変異が位置する染色体領域に対応する複数の遺伝子クローンから RNA を in vitro 合成して個体にマイクロインジェクションし、RNA 導入による発現阻害が par 表現型をコピーする遺伝子を探す実験を彼等は行った。不思議なことに、アンチセンス RNA のみならず、センス RNA を注入しても標的遺伝子の発現阻害が起こることが報告された。同様の実験手法を mom 遺伝子群の解析に用いた Mello および Priess のグループらは、古典的なアンチセンス RNA の作用モデルと区別する意味を含めて、線虫に外来 RNA を注入した場合に生じる遺伝子発現の阻害を RNAi と呼ぶことにした。そして Fire と Mello らは、1 本鎖であるアンチセンス RNA やセンス RNA よりも 2 本鎖 RNA (dsRNA) を注入する方が RNAi を生じさせる上で効果的であることを発見した。線虫の研究をヒントにした結果、様々な真核生物において dsRNA が遺伝子発現の阻害に有効であることが示されてきている訳である。
引き続いて RNAi の反応機構を遺伝学的に解析するために、RNAi 活性を欠損した線虫変異体 rde (RNAi deficient) のスクリーニングが行われ、動物において RNAi に関与する因子として初めて見つかった rde-1 遺伝子及びその他複数の遺伝子が同定されてきた。ちなみに、rde-1 遺伝子は Argoanute 蛋白の一つをコードしていた。しばらくして、植物の RNA サイレンシングにおける中間産物として small interfering RNA (siRNA) が発見され、加えてショウジョウバエや哺乳類細胞由来の細胞抽出液を用いて RNAi 反応を in vitro で再現して解析する無細胞反応系が開発されて研究が進展した結果、RNAi の反応機構においては siRNA が重要な役割を果たしていることが分かってきた。ハエ等を用いた生化学的解析によって示されたのは 2 つの鍵となる反応である。まず最初に、導入された dsRNA は Dicer の RNase III 活性によって 5' 末端にモノ燐酸を持ち 3' 末端が突出している 2 本鎖 siRNA (初期型) へと断片化される。引き続いて、siRNA はエンドヌクレアーゼ活性を持つ Argonaute 蛋白と一緒に RNA-induced silencing complex (RISC) と呼ばれる複合体を形成し、RISC は標的 mRNA を配列特異的に認識して切断する (Slicer 活性)。
筆者は RNAi の研究を線虫の RNAi 欠損変異体の単離という遺伝学的なアプローチから始めたが、遺伝学だけでは RNAi の機構における反応の流れが理解しづらいという印象を抱いた。そこで、RNAi 反応における酵素活性を生化学的に解析するための無細胞反応系を線虫においても独自に開発し、生化学と遺伝学を組み合わせた総合的な解析を行うアプローチを取ることにした。加えて、RNAi における第三の鍵と言えるサイレンシングシグナルの増幅を担う RNA 依存性 RNA ポリメラーゼ (RdRP) の活性を生化学的に解析したいと考えた。線虫の RNAi においては、トリガーである長い 2 本鎖 RNA から 5' 末端にモノ燐酸を持つ初期型 siRNA が Dicer によって産生され、さらに標的 mRNA を鋳型として 5' 末端にトリ燐酸を持つ二次型 siRNA が RNA 依存性 RNA ポリメラーゼによって産生される。線虫の細胞抽出液を用いて構築した無細胞反応系を利用した研究により、RdRP 複合体は Dicer 非依存的に二次型に対応するトリ燐酸化 siRNA を合成する活性を持つこと、加えて二次型のトリ燐酸化 siRNA が初期型のモノ燐酸化 siRNA よりも遥かに強力に標的 mRNA を切断する Slicer 活性を誘導すること、トリ燐酸化 siRNA によって誘導される Slicer 活性を担う因子は Argonaute 蛋白の一つである CSR-1 であることを筆者らは示した。C. elegans においては生化学的な研究があまりなされていないことから生化学的な研究には向いていないと考える研究者もいるが、系が出来上がった後での話ではあるが線虫の細胞抽出液で構築した RNAi の無細胞解析系は上手く動く。C. elegans は生化学的な解析に不向きな生物では全くないと筆者は思うが、付随する実験で時として必要とされるリコンビナント蛋白の作製は他生物の蛋白よりも明らかに難しいことも事実である。おそらく、室温よりも高い温度(つまり構造が壊れ易い状態)においても正確にフォールディングできるようになっている幾つかの他生物の蛋白に比べると、比較的低温で増殖する C. elegans の蛋白は一般にフォールディング能力が弱いのもしれない。ともあれ結果的に、外来性の dsRNA によって誘導される RNAi の線虫における反応機構の概略を記述できたのではないかと考えている。しかしながら、線虫と他生物における RNAi 反応機構は類似した蛋白因子を用いているが、RNA の流れについてはかなりの違いが見受けられることも、自身および他グループの研究によって分かってきた。他生物と保存性の非常に高い機構が浮かび上がってくることを期待していたことから、少し残念に思っている。
現在ところ筆者は、生化学的な研究から個体レベルの研究へ立ち戻って、生殖細胞に多い内在性小分子 RNA との相互作用を絡めつつ、他生物でも現象面で共通性の高い内在性の遺伝子発現調節機構の解明に挑戦しているところである。